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日本の聖地100選|茨城県霞ヶ浦国際ゴルフコース|恵まれた地形に名匠が造った名コース

2018/12/15 ゴルフトゥデイ 編集部

日本のゴルフの黎明期を象徴する一人であり、またいくつもの秀作を設計した赤星四郎。霞ヶ浦国際ゴルフコースは同時期に手がけた箱根CCや富士CCに勝るとも劣らない、特別なコースである。

恵まれた地形に名匠が造った名コース、茨城県霞ヶ浦国際ゴルフコース

18番パー5の第2打地点からグリーン方向を望む。池がクロス・ハザードとなってフェアウェイを横切る。平坦な地形、松の高木、随所に池、美しいコースである。

霞ヶ浦国際ゴルフコースは、常磐自動車道の桜土浦ICから3キロ、つくばエクスプレスを使えばつくば駅下車、車で10分と極めて至便な位置にある。

霞ヶ浦国際ゴルフコースの誕生は、日本の政界人に顔が利き、バナナの輸入と東映映画の輸出で財をなした台湾人実業家によるものだった。1960(昭和35)年の開場時は、3年前の第5回カナダカップで、日本チーム(中村寅吉と小野光一のコンビ)が団体優勝、中村が個人優勝を果たし、日本経済も戦後の混乱期を脱した時期で、ゴルフブームに沸いていた。

場所は東京から遠くない地を方々物色したが、当時、建設大臣だった河野一郎の「筑波が最適」という助言でこの地に決まった。コース設計家は、これも政界の大物、石井光次郎が懇意にしていた赤星四郎となった。

石井と赤星は戦前、「霞ヶ関CC」の設立を共にした仲で、同倶楽部のコース(東コース)も発起人5人で共同設計した。この2人の他は、新倶楽部設立の中心人物だった藤田欽哉、日本人として最初に“日本アマ”に優勝した井上信、そして清水建設の清水揚之助である。全員が「程ヶ谷CC」の会員で、より理想的な新しいカントリー倶楽部の実現を目指した。

赤星のコース設計・建設への意欲は、戦前来のもの。1910年代後半の米国留学でゴルフを覚え、帰国した。ちょうど洋行帰りの日本人の間でゴルフ熱が芽生えた頃で、昭和5年には「東京GC」が新コース建設のため、英国のハリー・コルト事務所からヒュー・アリソンを呼ぶことになった。

受け入れ側の要人として、赤星は大谷光明、藤田欽也、弟の六郎等と奔走したが、この機に、アリソンからコース設計の最先端知識を授かる幸運に恵まれた。そのアリソン来日時、赤星は「藤沢CC」の建設中で、アリソンの助言を反映させた名コースだったが、その後海軍に接収され、戦時中に惜しくも姿を消している。

赤星のコース設計家としての主要な活躍は戦後で、「霞ヶ浦国際GC」と同時期の作品に箱根の「箱根CC」、御殿場の「富士CC」等がある。これら60歳前後の作品はすべて秀逸である。

この頃、日本では年間を通して耐え得るグリーンの芝がなく、智慧を絞った赤星は大きめのグリーンの前半部分に高麗芝、後半部分にベント芝を使う方法を試みた。ここのグリーンが全般に大きめなのはそのせいである。同じ手法は、井上誠一も「大 洗GC」で試みているし、前記の箱根CCも富士CCも同様であった。

理想的な起伏の地形で、松を中心とした樹木に覆われ池も絡む。 赤星の10コースを超える秀作の中でも、特に魅力的な出来栄えである。バンカーはグリーン周りのガード・バンカーのみならず、フェアウェイ両側のサイド・バンカーも縁の顎が高く、アリソンのスタイル。ウォーター・ハザードもアウトで2つ、インで3つ、特に9番と18番ホールは厳しい池越えとなる。

一筋縄ではいかないが、コースは基本的に攻略ルートの多い戦略型の設計で、頭脳プレーを働かせればゲームは面白い。距離もバックから7000ヤードを超える本格的コースで、ビッグトーナメントの隠れた候補と言える。

また、世界的に有名な台湾の彫塑家、楊英風のステンレスを使った大型オブジェがコースの方々に置かれ、コース内の茶店は本式の茶室風と洒落ている。

文/大塚和徳

●茨城県霞ヶ浦国際ゴルフコース
・コース所在地:茨城県つくば市下原368
・URL:https://www.kasumigaura-kokusai-golf.com/

GOLF TODAY本誌 No.555 88ページより

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