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Mr.Pink Pants、エディ・ヴァン・ヘイレン|伝説のギタリストは伝説のゴルファーだった

佐渡充高のテレビでは語れなかったPGAツアー

2021/01/26 ゴルフサプリ編集部

ゴルフ番組やゴルフ雑誌ではあまり語られることのないトピックを、ゴルフジャーナリストやトーナメント中継の解説者として活躍する佐渡充高が取り上げ、独自の見解とともにお届けします。今回は2020年10月に亡くなった伝説のギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレンとゴルフとの関わりについてのお話。

GOLF TODAY本誌 No.583/115ページより

●文/佐渡充高
さど・みつたか
上智大学法学部卒業。1985年に渡米し、USPGAツアーを中心に世界のゴルフを取材。NHKゴルフ解説者。

ジャスティン・ティンバーレークのプロアマ戦出場へとつながる伝説的ギタリストのゴルフ

ロック界の伝説的ギタリスト、エディ・ヴァン・ヘイレン(65歳)が10月6日に逝去。ミュージシャンとして偉大な足跡は言うまでもないが、ゴルフ界でも革新をもたらしたヒーローだった。

94年2月カリフォルニア州開催ボブ・ホープ・クラッシックのプロアマで衝撃的な出来事が起こった。国民的コメディアンで大会ホストのホープ、フォード元大統領、2年前に全米オープン優勝でメジャー初制覇したトム・カイトとエディが同組でプレーしたのだ。

“衝撃”の理由とは当時ゴルフは“オヤジ”のスポーツというイメージが強く多くのロッカーはゴルファーであることを伏せていたからだ。エディのカミングアウトでプレーを見ようと約1万人の雰囲気の違う大ギャラリーが1番ホールのティーイングエリアに集結。豪快ショットを放つと拍手喝采! 打球は240ヤード先のフェアウェイをとらえ、僕はただ者ではないアスリートだと思った。

以降、ニール・ヤングなど意外な著名人ゴルファーが次々にプロアマ戦に出場。A・クーパー、J・ティンバーレーク、K・ロックらへとつながっていった。

ロックギタリストとして一時代を築いたエディ・ヴァン・ヘイレンはゴルフ好きとして知られてていて、多くのプロアマやチャリティでプレーを披露した。

エディは94年夏に第1回ハードロックカフェ主催のチャリティコンペで、今度はホストとなってプレー。ゴルフ仲間のトミー・リー、ニール・ヤング、俳優ジョー・ペッシ、PGAツアー著名選手も友情参加して大成功した。ゴルフは仲間とつながる喜びをエディに与えてくれただけでなく、酒とドラッグ依存の苦しみも緩和していった。

バンドのドラマーであり、兄のアレックスと少年時代には自宅裏庭でチップ&パットに夢中なった。だが、本格的にゴルフクラブを手にしたのは30歳を過ぎてから。レコーディングスタジオのビル屋上にネットを張り特設練習場を設営。レッスンはメジャー勝者マーク・オメーラ、ジョン・クックから指導を受けた。ジョン・デーリーがアルコール依存症で退院した際はギターを贈り、互いに教え合ったという。

エディの強グリップや早すぎるスイングリズムの修正は難しかったそうだが、デーリーはエディ効果で音楽に目覚めCDアルバムをリリースしたのだった。

ギターへのこだわり同様、クラブもオーダーメイド。ウェアも特注ピンクのショートパンツを愛用し、ゴルフ仲間からは“Mr.ピンクパンツ”の愛称で呼ばれた。豹柄シューズや黄色のニッカボッカなど気分が上がるファッションで愛車ランボルギーニの助手席にクラブを積み込み、ホームコースに通っていた。

晩年はガン闘病で度々ドイツへ。腰痛手術も重なりプレーの機会は激減したが、兄と愛息ウルフギャングとのプレーが楽しみだった。

R.I.P.

伝説のゴルファー、エディ・ヴァン・ヘイレン

マスターズの帽子を被り、ご機嫌のエディ。


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