金谷拓実 ロングインタビュー
「努力は惜しみません! プロになったからにはこれが“仕事”ですから」
窓から東京タワーが見えるホテルの一室。スーパールーキー金谷拓実は、こちらが拍子抜けするほどの自然体で我々を迎えてくれた。食べかけのヨーグルト。テレビにはサッカーの映像。22歳の若者は自分の言葉で来し方から未来までを流暢に語り始めた。
GOLF TODAY本誌 No.584 134〜141ページより
最後まで諦めないことそれが自分の強み
――アマチュア世界ナンバー1からプロへ。すでにダンロップフェニックスで優勝されていますがプロになった心境は?
金谷 プロとアマは別の世界なので、やはりプロ入りしたときは不安がありました。ほかのスポーツもそうですけれど、たとえばプロ野球はドラフト1位で入団した選手がプロ3年目でクビになることもある。アマチュアではいいプレーができてもプロでうまくいくとは限らないので、僕もゼロからのスタートだと思っていました。
――デビュー戦の日本オープンでトップ10入り。いとも簡単に壁を乗り越えたように見えましたが。
金谷 どの試合でも優勝を目指して出るのは変わりません。日本オープンでは勝てなかったけれど、上位争いができてトップ10に入れたのは良かった。少し自信になりました。
――そしてプロ3戦目で優勝。
金谷 普段僕は初日が苦手なのですが、あの試合(ダンロップフェニックス)は初日からいいプレーができているな、という感触はありました。最終日の後半12番で石坂友宏くんがバーディ。その時点で3打差つけられたのですが、諦めずに15番、16番連続バーディ。16番で石坂くんのボギーで追いついて、17番も1メートル半をきっちり入れてパー。いい流れのままプレーオフに入ることができました。4ホール目まで(プレーオフ)いきましたけれど諦めずにプレーしました。
プロとしてすぐ勝ちたいというのがあったし、チャンスがあったら絶対に掴むぞ、勝つぞ、と思っていました。その試合だけではなく、常にベストを尽くしてチャンスを掴みたい。それだけを考えています。
――アマチュア時代もフィールドの厚い住友VISA太平洋マスターズに勝っているし、ご自身の強みを分析すると?
金谷 フェニックスもそうでしたけれど最後まで諦めずにプレーすることですね。諦めないから上位で戦えていると思うし、トップ10フィニッシュもそう。
技術面ではパッティングは自信があります。大学時代、といってもまだ数カ月ありますが、学校の施設が素晴らしかったので練習はかなりしていました。人よりもやっていたと思います。2019年秋に渡米してZOZOチャンピオンシップに出場したときも、自分がコースを出るのが一番最後というのが多かった気がします。練習しないで上手くはなれないと思うし、そこはやっぱり人よりもやりたいと。
―― ZOZOで海外の強豪と対戦してみてどうでした?
金谷 自分が思った以上にスコアが伸びるのは感じました。メジャーでもプレーしましたが、やはり上の世界でやることが大事だと思いました。そこで揉まれてこそ強くなれる。その世界をもっと経験したい、努力したいと改めて感じました。
僕は飛距離だけ伸ばそうとかショートゲームだけ底上げしたいというのは嫌で、全体的にトータルで上手くなりたいと思っています。そのための努力は惜しみません。だってプロになったからにはこれが〝仕事〞ですから。〝仕事〞って言葉、結構好きなんですよ。ゴルフはもちろん好きだけれど自分のなかの位置付けはやっぱり〝仕事〞。人より秀でないと置いていかれる世界だし、だからこそ練習もするし努力もする。そう思います。
松山(英樹)さんという先輩がいたからこそ米ツアーというステップへ
――アメリカで戦いたいですか?
金谷 本音をいえば今すぐにでも米ツアーに行きたいです。でも出るためにはツアーカードを獲らなくてはなりません。いまは直接PGAツアーに行く道は狭くてまずはコーンフェリーツアー(下部ツアー)に挑戦する、あるいは世界ランクを上げてスポットで参戦して結果を出して出場権を勝ち取るしかない。とにかくチャレンジしたい気持ちはすごくあります。フェニックスに優勝したことで21年のソニー・オープンに出場できるので、心境としてはそこで優勝してツアーカード決めちゃうぞ、くらいの気持ちはあります。そのために練習するのは苦じゃないです。だって〝仕事〞ですから。
――アマチュアでのマスターズ出場も、プロのトーナメントの優勝も、松山英樹を踏襲していますね?
金谷 松山さんは自分たちにとってロールモデルです。彼がいろいろ成し遂げてくれたことで、僕らもできるのではないか、と思わせてくれた。進むべきルートを示してくれたと思います。アマチュアのときもそうですしプロになってからもそう。僕のなかでアマチュアで松山さんくらいやっておかないと、プロに飛び込んでいけないという意識はありました。
――東北福祉大では被っていませんよね?
金谷 6歳上ですから。でもゴルフ部の監督から松山さんが学生時代はこうしていた、ああしていた、という話はよく聞きました。松山さんも入学したての頃は華奢だったけれど、とにかくたくさん食べてトレーニングして体を大きくしたそうです。「まずは体を作れ」という監督の指導のもと僕も1日5食食べるようにして、トレーニングもして入学当時の62キロからいまは75キロまで増やしました。
そこは松山さんをならったのですが監督が最後に「松山は松山、金谷は金谷。自分らしくいけ」といってくれたので自主性を重んじてくれました。
――東北福祉大を選んだのは彼の出身校だから?
いえ、それが違うんです。高校生のときプロになりたくてQTを受けていたので、大学のことは全く考えていませんでした。でもQTが上手くいかず進学、となったときナショナルチームで繋がりがあった比嘉一貴さんが「東北福祉大学はいいよ」と教えてくれて、その言葉を信じて事前にキャンパスを見ることなく決めました。だから入学式と同時に大学を見る、という感じでした(笑)。
話には聞いていましたが練習環境の素晴らしさは思っていた以上でした。広いアプローチグリーンがあるし、グリーンも4面あって、時間があればいつでも練習できる。ナイター設備まであるんです。提携コースで午後から部活で回ることもできます。全国からいい選手が入ってくるので競争は激しいけれど、いい意味で切磋琢磨できる環境ですね。
――松山さんと試合で一緒になったことは?
金谷 あります。練習ラウンドを一緒にさせていただくこともありましたが、試合では大学2年のとき住友VISA太平洋マスターズの予選ラウンドで一緒に回りました。
――どうでした?
金谷 16番は320ヤード地点に木があるんです。確か風はフォローだったんですが、松山さんは3番ウッドでバシッと打ちました。木の手前まで行くのかな?と思ったらカーンって木に当たったんですよ。衝撃的でした。なんじゃそれ?って思いました(笑)。そもそも最初から松山さんとラウンドすること自体、緊張していたのに、初日の前半(10番スタート)であんな強烈なショットを見せられて、どうすればいいのかわからなくなりました。頭のなかはごちゃごちゃで、これから自分はこの世界でやっていけるんだろうか?とか余計なことを考えてしまってまったくプレーに集中できなくなりました。で、ガタガタと崩れてしまった。その経験から人のプレーに惑わされず自分がやるべきことに集中しよう、と思うようになりました。
よく金谷は人のプレーを見ない、といわれますが、見ていないわけではないです。人のプレーに振り回されたくないから敢えて見ないこともあるというだけ。興味のある選手のショットは見ますよ。
とにかく松山さんのプレーを見て「これが世界やな」と思いました。
“広島カープの選手”への夢からゴルフに専念するきっかけが…
――世界といえばマスターズも経験されました。
金谷 オーガスタは感動しました。テレビでずっと見てきた舞台に自分が立つというのがうれしくて。
一番楽しかったのはアマチュアが宿泊するクロウズネストでの体験。クラブハウスの上に宿泊施設があってタイガーもアマチュアのときはそこに泊まったらしいのですが、僕も1泊しました。アマチュアパーティがあった日だけは監督や両親と一緒ではなくアマチュア4人でそこに泊まったのですがビクター(ホブランド)も一緒でした。なんだか男4人のシェアハウスみたいな感じ。
そのときカレッジバスケットボールの決勝戦かなにかをやっていて、皆で一緒に見ました。それが一番楽しかった思い出です。翌年はアジアアマで優勝できなかったので(マスターズに)行けませんでしたけど、もし行けてたらずっとひとりでクロウズネストに泊まりたいと思っていました。
――青春ですね。情景が浮かんでくるようなエピソード。
金谷 なにを喋ったわけではないけれど、ビクターはすごくナイスガイで他の試合で会ったときも気にかけてくれます。
――彼はローアマになってプロ転向。すでにツアー2勝していますが、アマチュア世界ランキング1位の先輩でもある。
金谷 ビクターだけじゃなくコリン・モリカワやマシュー・ウルフ、強い選手はたくさんいます。でも自分は自分なので。
――マスターズの試合に関してはどうでしたか?
金谷 ぎりぎりで予選を通ったのですが、そのときも2日目の16番で普段なら入りそうもないような長いパットが入って土壇場でカットラインに滑り込めました。やっぱり諦めないことが大事なんだ、っていうことを改めてそのとき思ったし、これからもずっと〝諦めない〞というのが自分のテーマです。
――プロゴルファーになりたいと思ったのはいつですか?
金谷 中学生の頃です。地元が広島なので小さい頃は広島カープの選手になりたいと思っていました。ポジション? ショートです。体を動かすことが好きで、兄がバスケットをやっていたのでバスケにも興味がありました。でも結局ゴルフに落ち着きました。今でも大学の寮の仲間と草野球したり、フットサルを楽しんだりしています。
――中学でプロになろうと考えて高校でそれを行動に移した?
金谷 はい、QTは受けていました。でも失敗続きでした。そのころ転機になったのはナショナルチームのコーチ、ガレス・ジョーンズさんの存在です。彼が15年に日本チームのコーチに就任してからいままでと全く違うビジョンでゴルフをとらえるようになり、練習方法も180度変わりました。
――どのように?
金谷 ジョーンズコーチにまず言われたのは「ゴルフの65パーセントが60ヤード以内のエリアでのプレー。ロングショット、フルショットは残りの35パーセント。それなのになぜ65パーセントの部分ではなく、ドライバーやフルショットばかり練習するのか?」ということ。確かにその通りですがそもそも日本ではアプローチ練習場もあまりないし、60ヤード以内を練習したくても環境がない。だから皆ちょっと「うーん?」っていう感じだったけれど、ただひとり畑岡奈紗ちゃんだけがジョーンズコーチの教えをひたすらやり続けたんです。そうしたら1年後に日本女子オープンでアマチュア優勝。それを見て自分もジョーンズコーチの教えをちゃんとやってみようと思いました。
――それがアマチュアながらプロの試合に勝つことへの布石になる?
金谷 コーチの手元にはとてもぶ厚いファイルがあって、アプローチ、トレーニング、考え方とか各選手のデータが蓄積されています。グリーンを読むときのエイムポイントを取り入れたのもジョーンズコーチだし、練習ラウンドの情報収集もすごい。いままでなかったものを見せてくれた人が彼です。今年はコロナで会えていませんけれどズーム会議でやりとりはしています。海外遠征をしたときもその結果をフィードバックしてくれるようになりました。フィーリングで判断するとなんとなく悪かったとか漠然としてしまうんですけれど、データには歴然と何が足りなかったかが見える。それをフィードバックしてくれるから納得できます。
日本と海外でその土地によって何が必要なのか?たとえばリンクスではウェッジ以外でアプローチする必要があるし、距離の長いコースはレイアウトによって戦略も違います。ケースごとに求められていることを客観的にわからせてくれます。
飛距離のアドバンテージはあるがゴルフはそれだけではない!
――今の課題は何だといわれていますか?
金谷 データでは、飛距離以外は海外でも戦えるレベルだというのはいわれています。あとは飛距離を伸ばすだけだと。そこのポイントは自分も意識しています。データは嘘をつかないですから。
――飛距離アップの方策は?
金谷 スイングを変えるのではなく、体をつくってそれをスピードに変えて飛距離を伸ばしたいと思っています。
――今後もコーチはジョーンズ氏?
金谷 はい、基本的にはナショナルチームのコーチですが、サポートして貰えることになっています。
――世界で戦ってみて、距離さえ伸びればという実感は?
金谷 19年に全米アマに出たときはめちゃくちゃ飛ばす選手がいっぱいいて、なんだか飛ばし合いのゲームみたいで、これってなにやっているのですか?状態でした。これはゴルフではないな、とも感じました。もちろん飛距離はアドバンテージだけれどゴルフはそれだけじゃない。そういった意味でPGAツアーは飛ばない選手が勝つこともあるし、ちゃんと本来あるべきゴルフというスポーツの姿が守られ、成り立っていると思いました。言い方はおかしいかもしれませんが、本物のゴルフができている究極がPGAツアー。デシャンボーも以前は飛距離だけではない〝ちゃんとした〞ゴルフをやっていたと思います。それを飛距離が伸びたいまも、革新的ゴルフと伝統的ゴルフのどちらもできているから結果が出ているのかな、と。
20年のPGAツアーで一番感動したのはウェブ・シンプソンがトニー・フィナウをプレーオフで下して勝った試合(ウェイストマネジメント・フェニックスオープン)。フィナウが残り60ヤードのところシンプソンは150ヤード。それだけハンデがありながら勝っちゃう。ゴルフは飛距離の時代とよくいわれますが、それだけではないことを証明してくれてうれしかったですね。
――話題を変えます。金谷くんはエリートですか?
金谷 (一瞬の迷いもなく)いえ、違います(苦笑)。松山さんみたいにキレのある球が打てるわけではないし、スイングがきれいなわけでもない。自分のイメージですけれどエリートはやってることすべてがきれいに見える人だと思います。自分はそうではない。ゴルフノートにいろいろ書いていますけれど僕はいつも「泥臭く」って書くんですよ。きれいにやろうとするとまったくダメ。
自分の魅力を考えたとき、松山さんみたいなきれいな球とかパワーはない。でも目に見えない数字に表れないプレーで、光るものはあるかもしれない。3割バッターで足も速くてホームランを打つヒーローやスターではなく、元ヤクルトの宮本慎也さんみたいに与えられた役割をきっちりこなす。そういう選手になりたいです。玄人好み?そうかもしれません。
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実績を見れば金谷拓実は間違いなくゴルフエリートだ。だが本人は泥臭さが持ち味の名脇役に徹するつもりらしい。「俺が俺が」の世界で己を知り分相応を知る稀有な存在。「ちやほやされて取り巻きが大勢いたら、見失うものも多いような気がします。可愛い子には旅をさせろではないですが、ひとりでなんでもやって人間的に成長したいと思っています」。よくできたスーパールーキーである。
協力・ゴルフ日本シリーズJTカップ