2000年代初頭、フォーティーンと言えば竹林隆光さんだった

鹿又 フォーティーンの本社に来たのは約7年振りですが、すごく変わりましたね。開発部門に最新の機材が入っていたり、ショールームが新しくなったり、綺麗な会社になっていました。

池田 ありがとうございます。7、8年前は1番苦しい時代だったと思います

鹿又 僕らの世代はフォーティーンと言えば創業者の竹林隆光さん。竹林さん2013年に亡くなって以降は少し元気がなかったように見えたのですが、実際はどうだったのですか?

池田 今だから言えますが、当時は会社として迷走していましたし、お客さんにも飽きられていたと思います。業績も苦しかった。竹林が亡くなった後、2018年にはクラブの開発担当者も退職しました。私は入社して20年以上になりますが、あの頃はどん底でした。

鹿又芳典●かのまた・よしのり/1968年生まれ。カリスマクラブフィッターとして様々なゴルフメディアで活躍。日本を代表するゴルフクラブの有識者(写真右)。池田純● いけだ・じゅん/1974年生まれ。 フォーティーンブランド執行責任者。社会人になってから日本アマ、日本ミッドアマに出場した経験を持つ(写真右)。

鹿又 そこから、どうやって立て直したのですか?

池田 とりあえず、私が次のアイアンの企画を担当することになりました。でも、ただのキャビティアイアンを作っても面白くないなと思っていました。マッスルバックの形状に近いようなデザインでやさしく作れるアイアンにできないかと試行錯誤しながら、夜遅くまでモックアップ(ヘッドの原型)を作っていました。

鹿又 ヘッドをデザインするノウハウはどこで学んだのですか?

池田 私は竹林の元で研磨をやりたくてフォーティーンに入社しました。入社後はすぐ営業担当になりましたが、仕事が終わってからよく開発ルームでモックアップを作ったりしていました。

鹿又 そこから生まれたアイアンが『TB –5』ですよね。最初から、手応えは感じていたのですか?

池田 重心位置までは上手くいくと思っていましたが、開発担当者に渡した時点では慣性モーメントは理想値まではいかないだろうと思っていました。でも、開発から試作品が上がってきて計測すると慣性モーメントも目標を超えていた。第一印象は「こんなのできるんだ!」と思いました。

鹿又 2020年に発売したときも、いきなり人気が出たわけではないですよね。

池田 ジワジワという感じでした。でも、鹿又さんをはじめとする有識者の反応はすごく良かった。生前の竹林からは、有識者を「驚かすようなクラブを作らないといけない」と言われていたので、それはクリアしたなと思います。

『TB-5』のターゲットユーザー「想定していたのは一人のゴルファーです」

鹿又 『TB –5』をはじめて打ったときは、ここ数年で1番驚きました。アイアンの性能は形を見れば、だいたいわかるものです。キャビティ部分の構造だったり、タングステンが入っていたり、ソールが広かったりとかすると、打つ前から弾道が想像できる。『TB –5』はバックフェースに何もない。すごくシンプル。でも打つと打感はイイし、打球は上がるし、ちゃんとコントロールができる。そこに驚きました。

池田 20年前、私が憧れて入社した頃のフォーティーンのクラブは、すごくシンプルで機能的でした。だから、その時代のフォーティーンに戻したいなと思っていました。

鹿又 アスリートゴルファーからシニア、中級者まで幅広いゴルファーから評価されている『TB –5』ですが、どういうゴルファーをターゲットとして想定していたのですか?

群馬県高崎市にあるフォーティー ンの本社。施設内にはクラブ、アパレルのショールームがあり、 フィッティング施設はインドアだけでなく、芝から打てるアプローチレンジも併設されている。

池田 想定していたのは一人のゴルファーです。昔から竹林は不特定多数の人に向けたクラブを作っても、ボンヤリとしたコンセプトで設計もブレてしまうので、何の特徴もないクラブになってしまう。クラブ開発は常に一人のゴルファーをイメージするべきだと言っていました。『TB –5』は昔は競技ゴルファーだったけど、今は楽しくゴルフを楽しみたいという同期入社の営業部員をイメージしていました。「この年齢でマッスルバックはシンドイけど、ボッテリしたアイアンは使いたくない」というゴルファーです。

鹿又 ちなみに、さきほど見学させてもらった開発室にあったヘッドは新しい『TB –5』ですか?

池田 まだ詳しいことは言えませんが、今年秋の発売を予定している新モデルです。

鹿又 4年目でついにリニューアルですね。

池田 商品サイクルはなるべく長くしたいと思っています。そうしないと、せっかく購入したお客さんがガッカリしてしまう。新『TB –5』も、確実にブラッシュアップしています。ご期待ください。

常識を疑え。プロに向けたクラブを作るな。美しい道具であれ

『TB-5』の企画担当者である池田だけでなく、今のフォーティーンを支える開発担当者や営業担当者は竹林隆光の哲学を継承しているメンバーたち。天才設計家と言われた竹林の哲学とはどういったものなのか。

鹿又 フォーティーンが創業した約40年前のゴルフクラブは、ほとんど感覚重視で開発されていました。竹林さんはそんな時代に重心距離とか慣性モーメントなどの数字
を持ち込んだ人物と言われていますが、実際にはどういう開発者でしたか?

池田 開発者である前に竹林はゴルファーでした。ゴルフクラブを作るときは、ゴルファーである自分を通して、新しいクラブを考えていました。

鹿又 長尺の『ゲロンディ』はまさにそうですよね。竹林さんはトップアマでしたけど、飛距離が出なかった。だから、もっと飛ばそうとして48インチのドライバーを作った。

池田 1番よく言われていたのは「常識を疑え」ということです。入社後に何度も聞いた言葉で『TB –5』を企画していたときも意識していました。「他のメーカーと同じことはしたくない」ともよく言っていました。

鹿又 私も、その言葉は本人から聞いたことがあります。

池田 もう一つはゴルフクラブはシンプルで美しい道具であれということですね。開発では数字にもこだわっていましたが、最後にクラブを打つのは人間です。視覚から入っている感覚や印象がショットに影響するということをゴルファーとして理解していました。世界初の中空アイアンは、美しくてやさしいアイアンを作りたいというのが原点にあったと思います。

鹿又 竹林さんがいる時代のフォーティーンも、1990年代までと2000年以降は全く違う会社になりましたよね。

池田 80年代・90年代のフォーティーンは設計会社でした。大手メーカーから依頼されてクラブの設計をしていましたが、90年代後半になるとCADの時代になって、データだけでゴルフクラブの設計ができてしまう。設計会社としてのフォーティーンの仕事はどんどん減っていきました。そこからクラブ製作に転向し、2001年にはじめて自社ブランドのクラブとしてウェッジを発売しました。それが大ヒットした『MT –28』です。

鹿又 なぜ、一作目がウェッジだったのですか?

池田 当時はタイガー・ウッズがプロに転向した直後で、タイガーが使っていたクリーブランドのウェッジが大人気になりました。それまではアイアンセットが8本セット、10本セットの時代だったのでアイアンセットの中にあるウェッジを使っていました。でも、タイガー・ウッズ以降はアマチュアも単品ウェッジを購入する時代になると思ってウェッジに目をつけたと思います。竹林は開発者でしたが商売人としても先見の明がありました。

アーニー・エルスが2002年の『全英オープン』で使用して優勝。その後はPGAツアーでもアイアン型ユーティリティが大流行した。

鹿又 あの頃はプロゴルファーはもちろん、プロを目指す人達やトップアマもみんな『MT –28』を使っていましたね。

池田 日本男子ツアーの使用率1位でした。

鹿又 アーニー・エルスが『HI–858』で全英オープンを制したのも、その時代ですか?

池田 『MT–28』を発売した翌年の2002年です。『HI–858』も中空構造のアイアン型ユーティリティとして大ヒットしました。

鹿又 順風満帆のスタートでしたね。

池田 たしかに、あの2モデルでフォーティーンの知名度は日本だけではなくて、世界的に広まりました。でも、竹林は不満だったと思います。プロゴルファーから評価されることによって、『フォーティーン=上級者のためのクラブ』と思われてしまった。

竹林は「ゴルフメーカーがプロの方を向いてクラブを作りはじめたら終わり。アマチュアのためのクラブを作らないと生き残れません」と言っていました。そこからウェッジ開発の方向性が変わりました。

フォーティーンの創業者 竹林隆光がカリスマ設計者と呼ばれる理由

日本オープンでローアマを獲得した経験をもつ竹林隆光。1981年にフォーティーンを創業すると、世界初の中空アイアンや長尺ドライバー、そしてタラコと呼ばれて大ヒットしたユーティリティを開発。いち早くヘッドの重心位置に注目して重心距離、重心角、さらに慣性モーメントなどの数字を開発にとりいれた先駆者でもある。来日したアーノルド・パーマーにもゴルフクラブのことを質問していた。

●たけばやし・たかみつ/1949年生まれ。成蹊大学時代に本格的にゴルフをはじめて、卒業後は横尾ゴルフに就職。1977年の「日本オープン」でローアマを獲得。1981年にフォーティーンを創業した。

『DJ-6』に継承されている竹林の〝凹み〟とアマチュア目線

アイアンでは『TB-5』がロングセラーとなっているが、ウェッジでは『DJ-6』や『TK-40』が人気。ウェッジにも竹林の開発哲学がカタチとして継承されていた。

鹿又 大手メーカーでもウェッジのシリーズは1つか2つで、ほとんどプロモデル。でも、フォーティーンはウェッジだけで4つのシリーズがあって、そのうち3つはアマチュア向けのシリーズになっています。そこまでして何種類ものウェッジを発売す
る理由はなぜですか?

池田 ウェッジはゴルファーによって求めている性能が全然違います。ダフリに悩んでいる初心者もいれば、スピンコントロールをしたいという上級者、やさしいウェッジが欲しいというアベレージゴルファーもいます。様々なゴルファーの要望を叶えようとしたら、自然とラインナップが増えていきました。

鹿又 ウェッジで1番人気があるのはどのシリーズですか?

池田 やっぱり『DJシリーズ』です。今なら『DJ –6』。

鹿又 アマチュアゴルファーをターゲットにしたウェッジが売れているのがフォーティーンらしいですね。

池田 ウェッジだと『MT–28』が大ヒットして、ツアー使用率No.1になったときに、竹林がもっとアマチュアゴルファーのためのウェッジを作らないといけないということで開発したのが『MT–28 J.SPEC』でした。

鹿又 覚えてます! あれは、やさしいウェッジでした。

池田 試作品がほぼ完成したときに、竹林が「ここをもっとエグったほうがいい。凹ませよう」と指示を出しました。構造として中央部分を軽くして、周辺を重くすることで慣性モーメントを大きくしようという発想だったと思いますが、シンプルにキャビティ構造みたいなウェッジにしたかったと思います。その凹みとキャビティ構造は『DJ-6』にも継承されています。

鹿又 やっぱりフォーティーンと言えばウェッジの印象が強いですね。

池田 実際に会社の業績を支えたのはウェッジでした。だから会社が1番苦しかった時期には「ウェッジ専門メーカーにした方がいいのではないか」という話も出ました。

鹿又 そのときは、社内からも大反発はありましたか?

池田 反発というか意地ですね。経営としては選択と集中という、合理的な判断だと思います。でも、社名がフォーティーン(14本)で、30年以上も「すべてのゴルファーにベストな14本を」と言い続けたメーカーがウェッジメーカーになるわけにはいかないですからね。

鹿又 そう考えると『TB –5』がロングセラーになって、『DJシリーズ』が売れて、フォーティーンユーザーが増えているのはうれしい傾向ですね。

池田 アイアンいいね、ウェッジいいねと言われるのも、もちろんうれしいのですが、将来は「フォーティーン、いいね」と言われるメーカーになりたい。私自身、フォーティーンがが大好きです。ゴルフ以外の日でもフォーティーンを身につけていたいと思って、アパレル展開をはじめたくらいです(笑)。

鹿又 さきほどショールームで見ましたけど、アパレルもカッコイイですね。

池田 ありがとうございます。アパレルは売り上げは度外視して、ブランドイメージとしてのカッコ良さを表現したかった。そうやってフォーティーンファンを増やしていきたいと思っています。

すべてのゴルファーにベストな14本を

鹿又 ファンへのユーザーサービスでいえば、約2年前からフォーティーンのクラブは生涯保証を導入しましたね。

池田 表向きは2年前からですが、本当は私が入社した20年前からずっと生涯保証でした。今までは他のメーカーと同じように保証書をつけて2年とか3年とか期限をもうけていましたが、保証期限を過ぎたモデルでも破損したり、メッキが剥がれたクラブはすべて修理していました。急に生涯保証にしたというわけではなくて、今まで通りやっていこうよという感じです。保証書という概念をナシにしました。

鹿又 時間も費用もかかると思いますし、今の時代にその対応はすごいですね。

池田 さらに遡れば、竹林の時代からそうだったのです。購入したお客さんからクレームが来たらすべて対応していました。フォーティーンのクラブを使ってくれる人には1日でも長く使って欲しいのが1番の哲学かもしれません。

鹿又 今日は社内見学もさせていただき、ありがとうございました。

池田 来年以降の話になるので、まだお答えできませんがドライバーやパターでも新しい構想を進めているので楽しみにしていてください。今後も「すべてのゴルファーにベストな14本を」を目指していきます。