三ヶ島かなは見かけによらず超負けず嫌い
QT参戦の経費を稼ぐためアルバイトキャディをした経験もあり!!
悔しさを糧にする。勝負の世界ではよくつかわれる言葉だが、三ヶ島かなはこれを、公式戦でツアー初優勝という最高の結果につなげた。
例年にも増して激しい賞金女王争いが繰り広げられた2020~2021シーズンの日本女子ツアー。そのクライマックスJLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップで有終の美を飾ったのは、女王タイトルを手にした稲見萌寧でも、それを猛追した古江彩佳でもなく、これまで未勝利だった25歳の三ヶ島だった。
最終組で優勝争いを繰り広げる相手は、初日に8アンダーを叩き出し、優勝で逆転女王を狙う古江。2日目、3日目に、ジワジワとスコアを落とした古江に3打リードする単独首位で、三ヶ島は最終日を迎えた。
1番でカラーから6メートルを入れるバーディ発進したが、古江もバーディでくらいついて来る。残り8ホールをスコアカード通りにプレーして、古江と3打差のままバックナインに突入する。10番バーディ、11番ボギー。15番では第2打がバンカーで目玉になってボギーを叩いたが、16番でては右ラフから12ヤードのアプローチを放り込むバーディでバウンスバック。続く17番もバーディとして、16番ボギーの古江に5打差をつけた。前の組で2つスコアを伸ばした小祝さくらにも4打差で最終ホールを迎えた。
緊張感に包まれつつも、パーパットまで自分のゴルフを貫き、勝利の瞬間も静かに笑顔で喜びをかみしめた。仲間たちの祝福で少し涙を流したが、その後も冷静に自分を見つめていた。「まだまだ勝ちたい。何勝油断せずに逆に引き締めようと思いました」と“通過点”であることを強調した。
クラブを握ったのは10歳の時。「テレビのゴルフ中継を見ていいなと思ったんです」と、しっかりした意思を持った小学校4年生だった。父、直(すなお)さんが福岡県の自宅裏庭でアプローチ練習をしているところに「私もやりたい」とクラブをもって言いに行った。祖父や父のクラブの中からきれいそうなものを探しだして・・・。
穴あきプラスチックボールで2か月。本物のボールになってからもしばらくは自宅で毎日練習に明け暮れた。練習場に通うようになってからは、最初こそ、父が指導してくれたが、毎日つきあってはいられない。自分で考えて練習することで上達していった。
この頃から、何度も、悔しい思いを後のエネルギーに変えてきた。初ラウンドでボロボロになり、泣きながら300球打ったこと。地元の中学校時代には、強豪校の生徒たちとの差を感じたこともエネルギーに変えてショートゲームの練習に励んだ。沖学園高校時代には、やる気のない部員にイライラすることもあったほどのゴルフ熱で、プロを目指した。
プロになるプロセスでも、悔しさを味わった。1回目のプロテストで予想もしていなかった不合格。しばらく立ち直れないほどのショックを受けたが、ここから這い上がった。
QT参戦の経費を稼ぐため、アルバイトキャディをしていたコースで日の出とともに練習した。仕事の後も日が暮れるまで球を打つ。おかげでQT5位になり、単年登録でツアーに出始めたのが2016年だ。
2018年にはプロテストも突破し、ツアー参戦は今年で5年目。その間、何度か優勝争いを経験しているが、勝利には手が届かなかった。2019年富士通レディースでは、まだアマチュアだった古江に優勝をさらわれ2位に甘んじたこともある。
プレー中はポーカーフェイスどころか、やわらかい笑顔も目立つが、実はとんでもない負けず嫌い。だから、悔しさを力に変え続けてきた。勝てなかった日々に貯めたエネルギーが爆発したのが今大会だった。
プロデビュー以来、キャディとしてずっと近くにいた父は、徐々にバッグを担ぐ回数を減らし、今年の春先で完全に娘を”自立“させた。優勝が決まった瞬間、こっそり応援に駆け付けたその姿に、三ヶ島が最高の笑顔そ見せたのは言うまでもない。
2000年度生まれの古江世代や、その下の笹生優花など、若手がどんどん台頭しているが、25歳の三ヶ島は、経験を大きな財産に、さらなる成長を誓っている。ゴルフは、負けることの方が多いスポーツ。その“負け”を、どれだけプラスに転じられるかは本人次第だ。笑顔の裏で人知れず悔し涙を流しながら、コツコツとそれ重ねてきた三ヶ島が、この先どんな風に花開いていくのか。それが楽しみになる初優勝だった。
文/小川淳子
写真/Getty Images