日本の聖地100選|福島県グランディ那須白河ゴルフクラブ|記念すべきRTJシニアの名作

2018/10/15 ゴルフトゥデイ 編集部



20世紀後半、米国のコース設計界で革命を起こしたロバート・T・ジョーンズ・シニア。そのシニアが日本で設計した最後のコースが、戦略性に富んだ那須白河ゴルフクラブの36ホールである。

ここで紹介する「グランディ那須白河ゴルフクラブ」(以下“グランディ白河”)は、第二次大戦後、米国のコース設計に革命を起こしたロバート・トレント・ジョーンズ・シニアのコース設計事務所が、日本で最後に造った記念すべきコースである。1995(平成7)年開場で、トレント・ジョーンズ(シニア)はすでに89歳、彼の右腕となったのは、ロジャー・ルールウィッチであった。

ここで少しルールウィッチに触れよう。トレントの二人の息子は、それぞれに違った作風で独立し、事務所はルールウィッチが引き継いだ。1958(昭和33)年、イェール大学の土木工学部を卒業、造園関係で働いたが、トレントの妻(内助の功で有名)にスカウトされて入所、70年代には中心的スタッフとなった。そして86年、テキサス州は「ホースシュウ・ベイCC」の新コースで“ベスト・ニュー・リゾートコース賞”を受賞、全米で著名となり、90年にはアラバマ州で18コースを一人のオーナーから受注、“米国最大のプロジェクト”と、これも話題になった。

日本のコース設計史を見れば、最初に本式のコース設計を日本に紹介したのは1930(昭和5)年来日のヒュー・アリソンだった。その後、日本のコース設計は目ざましい進歩を遂げるも、太平洋戦争が勃発、ゴルフは休眠状態に入った。次なる世界レベルのコース設計家来日は、戦後のゴルフブーム時の1968(昭和43)年、西武グループが軽井沢にゴルフコース・コンプレックス(現在の「軽井沢72」)を企画した時で、ロバート・トレント・ジョーンズがやって来た。

この機に彼は、新しい“アメリカン・ゴルフ”の概念を披露した。“近代設計の父”とされる英国のハリー・コルトの流れを汲むアリソンは、リンクスを模したクラシックなスタイル。対するトレントの作風は、池やクリークの活用、アプローチの長さに関係なく大きな起伏のあるグリーン、距離の違う多種類のティ、ハザードの違いでホール毎の特徴を変える多様なデザイン等々、リンクスにない新しい発想だった。

軽井沢プロジェクト以降、日本市場を長男のジュニアに譲ったため、シニアの事務所による日本での作品は、この「グランディ白河」のみ。それゆえ、貴重なコースである。9ホール単位で、「イースト」、「サウス」、「ウェスト」、「ナス」の4コース(すべてベントのワン・グリーン)だが、難易度の高い「サウス」と「ウェスト」の組み合わせがコースレートも74.1で、主要トーナメント向きである。

ハザードは、池、クリーク、フェアウェイの要所やグリーン周辺のバンカー群、マウンドや窪地と多様、短いホールではドッグレッグとフェアウェイ・バンカーが絡んで戦略性に富む。コースの随所に、トレント特有の“ターゲット・ゴルフ”の流儀が伺えるが、最も顕著なのは「サウス」8番だろう。明確な段差の巨大グリーンは前面と左右が池、しかもピンとティの位置で使用クラブと攻略方法が変わり、頭脳プレーがキーとなる。

なお、ハウスは55室の(114人収容)のホテルを持ち、米国ウェスト・バージニア州「グリーンブライア」を模した魅力的建造物で、結婚式の披露宴会場としても好評。場所はJR新幹線「新白河」駅から車で10分足らずと極めて至便である。

文/大塚和徳

●福島県グランディ那須白河ゴルフクラブ
・コース所在地:福島県西白河郡西郷村大字熊倉字雀子山3
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