ゴルフ仲間が増えるのもゴルフの腕前なのだ
ロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が現場で感じたゴルフエッセイ【毒ゴルフ・薬ゴルフ】第5回
ゴルフの虜になってもうすぐ半世紀。年間試打ラウンド数は50回。四六時中ゴルフのことばかりを考えてしまうロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が、コースや色々な現場で見聞きし、感じたことを書いたのが【毒ゴルフ・薬ゴルフ】です。大量に飲めば死んでしまう毒も、少量なら薬になることは、ゴルフにも通じるのです。
撮影/篠原嗣典
ゴルフは黎明期から数百年間は、マッチプレーでプレーするものでした。
ホールごとに勝敗が決まる目の前の対戦相手との勝負だったのです。
古くから現代まで伝わるゲームの多くは、貴族たちが生み、育て上げたものです。ゴルフも例外ではありませんでした。
事情が変わるのは、産業革命以後です。
人口の増加と社会の構造や常識が変わっていく中で、それまで存在しなかったお金持ちという新しい種族が生まれて、貴族ではない人たちにも余暇という概念が生まれていきます。
そこに、ゴルフがあったのです。多くの人たちがゴルフをするようになっていきます。
ゴルフコースが不足し、次々にゴルフコースが誕生していきます。
18世紀末から19世紀にかけて、増加するゴルファーたちは、自然と、たくさんの人が一緒にプレー出来て、短期決戦が可能なストロークプレーを採用するようになっていきました。
それまでは、マッチプレーが主流なので、ゴルフコースのホール数は個別に決めれば良かったので、ラウンドの正式なホール数は決まっていませんでした。古いコースが12ホールだったりする記録があるのは、そういう背景があったからです。
セントアンドリュースが、偶然、18ホールになって、それがストロークプレーとしてはちょうど良いということになって、一気にゴルフコースの18ホール化が進みました。
20世紀からは、ストロークプレーが完全にゴルフの主流になりました。
ゴルフは、約100年をかけて、世界中の誰とでも、言葉が通じなくとも、プレーできるようにストロークプレーを進化させました。世界共通ルールの普及やエチケット・マナーの啓蒙などが、ゴルフを多くの人たちと一緒に楽しめるゲームにしたのです。