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マスターズ創設者 ボビー・ジョーンズは情熱のパラゴルファーだった!

佐渡充高のテレビでは語れなかったPGAツアー

2021/10/30 ゴルフサプリ編集部

マスターズ創設者 ボビー・ジョーンズは情熱のパラゴルファー だった!

ゴルフ番組やゴルフ雑誌ではあまり語られることのないトピックを、ゴルフジャーナリストやトーナメント中継の解説者として活躍する佐渡充高が取り上げ、独自の見解とともにお届けします。

GOLF TODAY本誌 No.593/99ページより

次のロサンゼルス五輪ではパラゴルフが競技に加わるかも

パラリンピックの熱戦を見終え、ゴルフも競技に! という思いがさらに強くなった。今年はマスターズ創設者ボビー・ジョーンズ没後50年。ジョーンズは僕にとって永遠のヒーロー、そしてパラゴルフのアイコン的存在でもある

1930年アマチュアで年間グランドスラムを達成後28歳で競技から引退。当時から脊髄空洞症の影響で強度の倦怠感、手足の感覚が鈍く、40歳頃から歩行困難で車椅子の生活となった。

30年前、縁あって引退後に暮らした邸宅を訪問、それは驚きの連続だった。アトランタ郊外タキシード通りに面した門をくぐると美しいパー3ホールが眼前に。その奥にクラブハウスのような主邸があった。

弁護士業のかたわら体が動く範囲でクラブを振り、バドミントンコートもある大きな別棟を建て車椅子でプレーを楽しむパラアスリートだったと知り心が震えた。

人生最終ラウンドは50歳。近くのホームコース、PGAツアー最終戦の舞台イーストレイクだった。当時の邸宅オーナーはベトナム戦争で片腕を失ったゴルファーで「人生のファイター、ジョーンズへの敬愛から邸宅を譲り受けた」と語った。

その前年90年6月に初めてブラインドゴルフを取材した。NY州郊外開催のメジャー級の大会で、64年全米オープン勝者でマスターズ中継の解説者ケン・ベンチュリ(2013年82歳他界)が長年サポートしてきた。

会場ではペイン・スチュワートが目隠ししスター選手パット・ブラウンと9ホールマッチを行い完敗。

「大いにインスパイアされた!」と驚いた。ブラウンはグリーンの傾斜を足の裏でよみ、歩測による距離感も抜群。あまりの上手さに「ハンディはいくつですか?」と聞くと「目が見えないこと。ゴルフが楽しめればそれでいい!」と笑顔で返してくれた。

マスターズ創設者 ボビー・ジョーンズは情熱のパラゴルファー だった!
PGAツアーのレジェンドであるケン・ベンチュリ(右上の写真)が長くサポートしてきた、ブラインドゴルフの2000年に開催された時の大会パンフレット。

97年6月タイガー・ウッズがプロ転向後NY市で初開催したジュニア・レッスン会で「最も刺激を受けたゴルファー」と紹介し登場したのはデニス・ウォルターズ。

ツアープロを目指したが事故で歩行困難に。PGA選手から俳優に転身したジョー・カークウッドらに指導を受けトリックショットのアーティストになった。シートが回転するカートに体を固定し、可愛い介助犬もボールやクラブを運ぶなど大活躍!1本のシャフトに3つのヘッド、ゴムホースの先にヘッド等で多彩なショットを放ちウッズも目を輝かせ拍手喝采! 2018年ボビー・ジョーンズ賞、2019年に世界ゴルフ殿堂入り、71歳の今も活躍するゴルフ界の誇りだ。

パラゴルフは7年後のロス五輪で競技に加わる可能性があるという。もしジョーンズが存命なら嬉々として最先端の車椅子等でゴルフを楽しみ、パラリンピアンとして初代金メダルを目指していたかもしれない。

マスターズ創設者 ボビー・ジョーンズは情熱のパラゴルファー だった!
タイガー・ウッズが97年にニューヨークで開催したジュニア・レッスン会では、歩行困難になったデニス・ウォルターズも参加。その時に配られたサンバイザーにタイガーの父であるアール・ウッズのサインをいただいた。
佐渡充高

●文/佐渡充高
さど・みつたか
上智大学法学部卒業。1985年に渡米し、USPGAツアーを中心に世界のゴルフを取材。NHKゴルフ解説者。


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