ミズノプロTi-110Ti-120|1本なんと18万円! 世界初のチタンドライバー
商品開発はドラマ!!!|今だから言える驚きのストーリー[第8回]
ゴルフメーカーの商品開発におけるドラマチックな業界裏話をメーカー勤務経験のフリーライター・嶋崎平人が語る連載企画。今回はミズノプロTi-110Ti-120が主役のストーリー。
GOLF TODAY本誌 No.591/68ページより
世界初のチタンドライバーはミズノから発売された。1990年である。1990年当時はクラブヘッドの素材の技術革新が急激に進んでいた時代であり、各社が新しいヘッド素材に挑戦していた。80年代までの主流は、まだパーシモンヘッドであった。しかし、1979年の米国のゲーリー・アダムスがテーラーメイド社を設立し、ステンレス製ヘッドを発売した。
これを機に、各社からメタルヘッドが本格的に商品化され、さらに1982年にはヤマハ、ミズノ、ダイワなど国内メーカーがカーボンヘッドを発売。1990年にはブリヂストンスポーツがJ'sメタルを発売し大ヒット、パーシモンの時代に終わりを告げた。メタル、カーボンの時代に変わり、次のヘッド素材として、登場したのがチタンである。
チタンヘッドが登場したのは、今から30年前の話である。各社が開発競争をした中で、ミズノがどうして世界で初めてチタンドライバーを発売できたか。当時の開発担当者はすでに退職されているが、事情に詳しいミズノの賀屋和之氏にお話を伺った。賀屋氏は1983年ミズノ入社で、当時はクラブ企画を担当されていた。
ミズノのチタンヘッドの開発のきっかけは、当時のミズノの二代目社長の水野健次郎の一言であった。
水野健次郎社長は、大阪帝国大学理学部卒で化学や金属に対して研究熱心で、1985年の年末に技術陣を集めた会議で「なにか新しいトピックスはないのか」の発言を受けて当時技術開発のゴルフ部門のチーフをしていた永井正夫氏が「こらからのウッドヘッドはチタンです。」とのやり取りがスタートとなった。水野健次郎社長は、技術に造詣が深く、高強度で軽いチタン素材の可能性を先見していたのであろう。永井氏は会社の命を受け、1987年に当時軍需・航空産業でチタン鋳造技術開が進んでいた米国に赴き、チタン鋳造メーカーをリサーチ。「チタンのゴルフクラブヘッド鋳造は可能か」との話をしたが、軍需中心のメーカーからは相手にされなかった。これとは別に当時の水野社長が理系出身のネットワークで、1987年に神戸製鋼所でチタンヘッドの試作をしたが1回限りで思うようにいかなかった。リサーチする中で、三菱金属(現三菱マテリアル)が航空産業でチタン開発をしていたため、大きなチタンの鋳造設備を持っており、開発をできることが決まった。