マスターズ創設者 ボビー・ジョーンズは情熱のパラゴルファーだった!
佐渡充高のテレビでは語れなかったPGAツアー
ゴルフ番組やゴルフ雑誌ではあまり語られることのないトピックを、ゴルフジャーナリストやトーナメント中継の解説者として活躍する佐渡充高が取り上げ、独自の見解とともにお届けします。
GOLF TODAY本誌 No.593/99ページより
パラリンピックの熱戦を見終え、ゴルフも競技に! という思いがさらに強くなった。今年はマスターズ創設者ボビー・ジョーンズ没後50年。ジョーンズは僕にとって永遠のヒーロー、そしてパラゴルフのアイコン的存在でもある
1930年アマチュアで年間グランドスラムを達成後28歳で競技から引退。当時から脊髄空洞症の影響で強度の倦怠感、手足の感覚が鈍く、40歳頃から歩行困難で車椅子の生活となった。
30年前、縁あって引退後に暮らした邸宅を訪問、それは驚きの連続だった。アトランタ郊外タキシード通りに面した門をくぐると美しいパー3ホールが眼前に。その奥にクラブハウスのような主邸があった。
弁護士業のかたわら体が動く範囲でクラブを振り、バドミントンコートもある大きな別棟を建て車椅子でプレーを楽しむパラアスリートだったと知り心が震えた。
人生最終ラウンドは50歳。近くのホームコース、PGAツアー最終戦の舞台イーストレイクだった。当時の邸宅オーナーはベトナム戦争で片腕を失ったゴルファーで「人生のファイター、ジョーンズへの敬愛から邸宅を譲り受けた」と語った。
その前年90年6月に初めてブラインドゴルフを取材した。NY州郊外開催のメジャー級の大会で、64年全米オープン勝者でマスターズ中継の解説者ケン・ベンチュリ(2013年82歳他界)が長年サポートしてきた。
会場ではペイン・スチュワートが目隠ししスター選手パット・ブラウンと9ホールマッチを行い完敗。
「大いにインスパイアされた!」と驚いた。ブラウンはグリーンの傾斜を足の裏でよみ、歩測による距離感も抜群。あまりの上手さに「ハンディはいくつですか?」と聞くと「目が見えないこと。ゴルフが楽しめればそれでいい!」と笑顔で返してくれた。