MT-28(フォーティーン)|時代の先を読み潮流を作ることのできる独自の開発姿勢が産んだ人気ウェッジ
商品開発はドラマ!!!|今だから言える驚きのストーリー[第14回]
ゴルフメーカーの商品開発におけるドラマチックな業界裏話をメーカー勤務経験のフリーライター・嶋崎平人が語る連載企画。今回はMT-28が主役のストーリー。
GOLF TODAY本誌 No.597/68ページより
都内から関越自動車を使い2時間、高崎市の山際の吉井町にフォーティーンはある。冬晴れの澄み切った空気の中で、斜面沿いに瀟洒な建物が3棟立ち、グリーンも併設されている。藤岡で創業し、高崎市内へ事務所を移動して、この地には30年前の1991年に移転した。この地で生まれたウェッジ「MT-28」の成り立ちについて、当時の事情に詳しい取締役営業部長の桐谷一郎氏に伺った。フォーティーンといえば、現在ドライバーからパターまで作っている総合クラブメーカーであるが、スピンが強烈に効くウェッジのイメージが強い。それだけ「MT-28」の印象が強烈だったからである。
フォーティーンの創業者は日本屈指のクラブデザイナーの故・竹林隆光氏である。1949年生まれ、2013年64歳の若さで逝去された。1981年にフォーティーンは竹林氏を含め3名で創業された。クラブ設計請負とカスタムオーダークラブの会社としてスタートした。売り上げは設計業務が主流で、各メーカーの黒子として活動していた。プロギア、ヤマハ、ブリヂストンスポーツ、パワービルト等多くのメーカーが設計を依頼し、ヒット商品を出している。
「MT-28」のスタートは、若い研磨職人の都丸和寛氏が入社し、カスタムグラインディングでウェッジを削り始め、2000年頃、原口鉄也プロの要望を受けて、彼に合うクラブを作ろうとスタートした。もともと万人に合うクラブよりは、個人に合うクラブ、「誰か一人のために」との基本的なポリシーがあった。
一方、順調に設計請負業務で業績を伸ばしていたが、1990年代後半から、CADの進化により3次元CADでの設計・デザインが主流となり、各メーカーもCADを使い自社設計が中心となってきた。設計会社として図面を引いて金型を納める流れの仕事が少なくなってきた。フォーティーンはクラブメーカーとして、商品をだしていかなければ生き残れない時代となった。
当時、クリーブランドやボーケイのウェッジがプロの間で使われ始め、ロジャー・クリーブランドと親交のあった竹林氏は、まだ大手メーカーが参入していない隙間をねらうウェッジに目をつけたのではないかと思われる。今ではウェッジはアイアイセットと別に1〜4本選ぶ時代になっている。まさに「時代の先を読み、潮流を作る」竹林氏の真骨頂がここに発揮されていた。