スピーダー(藤倉コンポジット)今だから言える驚きのストーリー[第17回]

<SPEEDER>まさに“スピード違反者”のように速く振れてヘッドスピードが上がった!

2022/06/09 ゴルフサプリ編集部



ゴルフメーカーの商品開発におけるドラマチックな業界裏話をメーカー勤務経験のフリーライター・嶋崎平人が語る連載企画。今回はスピーダーが主役のストーリー。
GOLF TODAY本誌 No.600/68ページより

2008年ゴルフ規則が改訂され、クラブヘッドの反発係数(0・83以下)体積(460cm3以下)慣性モーメント(5900g/cm3以下)に規制が入り、ヘッド機能で飛ばすことにブレーキがかかった。それ以前から注目されていた、クラブフィッティングが飛ばすための手段としてさらに注目を浴びるようになってきた。特に、プレーヤーとシャフトのマッチングが重要になり、メーカーの純正シャフトだけでなく、自分好みや、フィッティングして交換するカスタムシャフトに注目が集まってくるようになった。

そのカスタムシャフトについて、先鞭をつけたのは1996年フジクラが出した「Fiton!(フィットオン)」である。

当時、シャフトメーカーはクラブメーカーのOEM生産が中心。OEMメーカーとしてはラファイトデザイン、三菱レーヨン(現・三菱ケミカル)が強く、工房向けアフターマーケット用のカスタムシャフトに力を入れていったのがフジクラであった。

その中で、歴史に残るシャフト「SPEEDER」が生まれた。その開発の話を藤倉コンポジット株式会社・先端複合材事業部の渡邊貴史事業部長、営業部の飯田浩治氏にお話を伺った。

フジクラの正式名称は藤倉コンポジット株式会社(創業者は藤倉善八で電線事業などを手掛け、その遺志を継承した末弟の松本留吉が1901年(明治34年)藤倉電線護謨合名会社を創立し、ゴム引防水布の製造を開始したのが始まり。

この技術は藤倉善八の甥・岡田顕三が1896年に渡米し、ゴム引防水布の製造法を取得して帰国。この技術が工業用ゴム製品や電気絶縁材料など、今日の市場で流通している多くの商品に受け継がれている。1948年に藤倉ゴム工業に、2019年に藤倉コンポジットに社名を変更している。

カーボンシャフトに参入したのは、1972年の第1回太平洋マスターズで優勝した米国のゲイ・ブリューワーがカーボンシャフトを使用していた。それを見た当時の会長・松本重男が自社で出来ないかとカーボンシャフト製造を決意した。

松本会長はゴルフの腕前はトップアマクラスであった。渡米し世界で最初にカーボンシャフトを商品化した米国のALDILAに技術提携を申し込んだ。しかし断られたが諦めず社内10名でCS(カーボンシャフト)課を立ち上げ、自社の得意の開発・解析・評価技術を生かし1から技術を作り上げていった。原材料の購買先である東レからの情報や、スチールシャフトにカーボンを巻くなど試行錯誤をしながら独自開発で技術を蓄積していった。

1974年に、オリジナルブランド「Flyrun(フライラン)」をゴルフ工房向けに販売開始、製造は福島県にある原町工場であった。

その後OEMを中心に技術を磨いていった。今ではフジクラの代名詞となっている高い復元力のある素材の3軸織物を研究し、それを世界初に採用した「Fiton!」の11シリーズを1996年に発売した。その中に「Fiton! -11 SPEEDER」があった。フジクラの主力商品「SPEEDER」の誕生だ。