令和のゴルフブームは永遠に続く?

ロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が現場で感じたゴルフエッセイ【毒ゴルフ・薬ゴルフ】第19回

2022/05/19 ゴルフサプリ編集部 篠原嗣典



ゴルフの虜になってもうすぐ半世紀。年間試打ラウンド数は50回。四六時中ゴルフのことばかりを考えてしまうロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が、コースや色々な現場で見聞きし、感じたことを書いたのが【毒ゴルフ・薬ゴルフ】です。大量に飲めば死んでしまう毒も、少量なら薬になることは、ゴルフにも通じるのです。

撮影/篠原嗣典

ゴルフブームという言葉が頻繁に交わされるのは、50代以上のゴルフ関係者の間だけのような気がします。
日本の高度成長期に子供時代を過ごし、モノを所有することで幸せを具現化しながら大人になったのが50代の世代です。バブルの頃は、若者でした。

「次はこれを買いなさい。みんな、持っていますよ。そのために働いて、家族で幸せになりましょう!」
いわゆる『ブームなキャンペーン』が張られるたびに、みんなでブームに乗って、競ってアイテムを充実させることに夢中になったのが、戦後の日本の社会であり、家族だったのです。
その中で生きてきて、次々に起きるブームのど真ん中にいたのが、現在の50代と60代なのです。

ゴルフブームについても、何を基準にするのかが曖昧なのですが、一つの基準として、ゴルフコースの新規オープンの数が急激に増える期間だとするのが正解というのがセオリーになっています。
ゴルフコースが足りないから増やすという関係が、成り立つのがブームの深層だったのです。

1957年のゴルフワールドカップが日本で開催されて、初めてテレビ中継があったのが、第一次ゴルフブームの始まりだと言われています。

1966年にも、再びワールドカップが日本で開催されて、第二次ゴルフブームが起きます。諸説ありますが、このゴルフブームが、オイルショックまで長く続いたと考えるのが説得力があります。
この時期は、日本だけのブームではなく、アメリカにて、ジャック・クラウスが登場して、A・パーマー、G・プレーヤーのビックスリーがテレビ中継でも盛り上がるエンターテーメントのゴルフを確立したことも影響しています。

日本では1980年代からバブル崩壊まで、再度、ゴルフブームが来ます。(このブームを第二次ゴルフブームと定義する考え方もあります)
ジャンボ尾崎、青木功、中嶋常幸の3人が日本だけではなく、世界を股にかけて大活躍しました。女子でも岡本綾子が、アメリカで賞金女王になったりもしました。
このときのゴルフコースの数が、日本のゴルフ史上、最大です。

バブル崩壊以後、新規オープンするコースは片手で数えられるのに、廃業するコースは両手では数えられない年が続き、この傾向は現在も継続しています。
○○ゴルフクラブは太陽光発電所に変更、という文字を見るたび、馬鹿馬鹿しくて哀しくなります。

国土面積や、山林が多い事情などを考慮すると、ゴルフコースを作るのが可能な場所には、全てゴルフコースがあり、これ以上は増やしようがないので、ゴルフコースの増設をブームの基準にする時代は終わったといわれています。

とにかく、ブームというお祭り気分で安心したいオジさんが(50代、60代は、若者からするとおじいちゃんかもしれないが、わかりやすくするために)、合言葉のように言うのです。
「ゴルフブームが、来るよね!!」

若者ゴルファーの増大、休眠ゴルファーの再開という流れは、新型コロナウィルスへの対策としてゴルフが注目されたことで、ブームといえるほどの大きさになったは事実です。
つまり、ゴルフブームは将来ではなく、来ているのです。

残念ながら、オジさんゴルファーたちがゴルフをしているシーンの中に、若者ゴルファーがいないので、実感が湧かないのです。

練習場に行ってみても、ゴルフメーカーのホームページを見ても、若者ゴルファ向けのサービスやアイテムが増加しています。そういう部分を冷静に分析できるおじさんゴルファーは、姿は見えずとも、ゴルフブームを実感しています。
お利口さんのフリが得意なだけで、本当はお馬鹿さんで、分析が苦手なオジさんゴルファーが多いので、自分だけがゴルフブームに乗り遅れるのは嫌だと、「ゴルフブームは、目の前まで来ているよね?」という質問をしてくるというわけです。