ツアープロは年間で何足のゴルフシューズを使う?何ラウンドくらいが機能面の寿命か知ってる?
ロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が現場で感じたゴルフエッセイ【毒ゴルフ・薬ゴルフ】第38回
ゴルフの虜になってもうすぐ半世紀。年間試打ラウンド数は50回。四六時中ゴルフのことばかりを考えてしまうロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が、コースや色々な現場で見聞きし、感じたことを書いたのが【毒ゴルフ・薬ゴルフ】です。大量に飲めば死んでしまう毒も、少量なら薬になることは、ゴルフにも通じるのです。
写真提供/篠原嗣典
「初心者が、ゴルフ用具を揃える予算の内の半分はゴルフシューズにしなさい」昭和の時代。ゴルフシューズを重く見るのはセオリーでした。
1つには、国内のコースの95%以上は歩きのゴルフだったので、靴擦れなどで痛い思いをしないように、という配慮だったのですが、基本的には、当時のゴルフ用品業界には、“ゴルフシューズ神話”みたいなものあったことの影響が強かったからなのです。
ゴルフの歴史を振り返ると、専門のゴルフシューズが出現したのは近代ゴルフになってからで、初期のゴルフシューズは、スパイクレスシューズのように、シューズの裏に三角錐の突起を取り付けて、芝生の上で滑りにくくしたものでした。それが20世紀前半まで続きます。
第二次世界大戦が終わって、20世紀後半になると、ゴルフシューズは、ゴルフスパイクと呼ばれる時代に突入しました。米国で、ソールの裏に付けた金属製の鋲をネジで交換できるようになったゴルフシューズが出現して、一気に広まっていったのです。このシューズはゴルフスパイクと呼ぶようになりました。
戦争で戦車の厚い装甲を打ち抜くために開発されたタングステンという素材が、世界が平和になると大量に余るようになり、その使い道として、高い耐久性が必要だったゴルフスパイクの鋲に最適だったからと分析する歴史家もいますが、タングステンという素材は、ゴルフクラブの重量を調整する重い素材として、現在も使われています。
この頃のゴルフスパイクは、本革で作られているものが主流で、フットジョイとエトニックが二大ブランドで、ゴルファーの憧れでした。かなりの高額商品でしたが、大切に管理すれば長持ちしましたし、仮に革が裂けてしまうようなことがあっても、アッパーやソールなどのパーツごとの交換が可能で、一生物のシューズとして使えたのです。