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7番目の補欠枠からマスターズ予選へ「日本人初」を歩み続けた10年

TEE-UP WORLD WIDE TOPICS & NEWS|今月の1枚

2021/05/27 ゴルフサプリ編集部

国民的快挙として祝福の声が上がっている松山英樹のマスターズ優勝。もちろん日本人初の偉業ではあるが、そもそも松山の歩んだゴルフ人生が「日本人初」の道だった。そこにはアマチュア時代からのマスターズとの深い縁もあった。

GOLF TODAY本誌 No.588 10〜11ページより

2010年のアジアアマチュア選手権で優勝したときの松山英樹。同じ大会には藤本佳則、川村昌弘、浅地洋佑などが出場しており、松山はマスターズ出場について「自分が出れるレベルにあるとは思えない」と答えていた。

マスターズと松山英樹には不思議な運命があったのかもしれない。2011年に松山が初めてマスターズに出場できたのは、2010年のアジアアマチュア選手権に優勝したからだ。しかし当初、松山にはアジアアマへの出場権がなかった。日本人で出場できるのはアマチュアランキングの上位6名で、松山は7番目の補欠枠。ただし、同大会が初めて日本で開催されるということで、ホスト国推薦で出場権が与えられた。そして、試合がはじまると4日間ともアンダーパーの松山が2位に5打差をつけて圧勝。日本人初となるアマチュアでのマスターズ出場を決めたのだ。

そこから松山英樹の「日本人初」の道がはじまった。2011年のマスターズでは日本人初のローアマを獲得。グリーンジャケットが授与される表彰式に出たのもプロを含めて日本人初だった。その直後の取材で松山は、

「グリーンジャケットいいな、着たいなと思いました。それまでは日本のスーパーで売っている緑色の偽物でも買って着てます(笑)」

と答えていた。2013年にプロ転向してからも松山の快進撃は続き、PGAツアー5勝、7年連続ツアー最終戦出場も日本人初の偉業である。PGAツアーでもトップ選手となり様々なターニングポイントがあったはずだが、本誌が松山にインタビューした際、

「人生の分岐点は2011年にマスターズに出たこと。そこでローアマをとったことだと思います」

と語っていた。その原点とも言える2010年のアジアアマが開催された霞ヶ関CCは今年の東京オリンピックの舞台。今年の夏も、運命的な快挙が待っているかもしれない。

松山英樹
1992年2月25日生まれ。ゴルフをはじめたのは4歳。日本アマにも出場した父・幹男さんの指導を受けてジュニア大会で活躍。東北福祉大学時代にはアマチュアでの日本ツアー優勝を飾り、2013年にプロ転向。1年目で日本ツアー賞金王になると翌年からPGAツアーに参戦。PGAツアーでも日本人最多の5勝をマークし、21年に日本人初のマスターズ優勝を達成。

写真/Getty Images 本誌編集部


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