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【30年前】日米人気No.1設計家が語る「名コース誕生の条件」ピート・ダイ

ゴルフトゥデイ創刊600号記念

2022/04/21 ゴルフサプリ編集部

ゴルフトゥデイ創刊第2号をゴルフサプリでご紹介する企画。30年前に掲載された日米人気No.1設計家が語る「名コース誕生の条件」をピート・ダイに取材して記事にしました。当時の編集長のコメントとともにお届けします。

GOLF TODAY本誌 創刊第2号/38-40ページより

ゴルフトゥデイ編集長が当時を振り返る

TPCソーグラス、PGAウエストなど今でもトーナメントで使われて、話題を呼ぶコースを設計したピート・ダイ。17番の浮島のグリーンや鉄道の枕木をバンカーの淵に配置した斬新なデザインは追随を許さない独自性に溢れていた。鬼才と言われたコース設計家だが、インタビューはゆったりとした時間の中でも、エネルギーを感じさせた。

ゴルフトゥデイ創刊第2号

創刊第2号の記事内容を覗いてみよう

30年前のゴルフトゥデイ創刊第2号の実際の記事内容です。あくまでも過去のもので、現在は販売終了しているものも多数あります。30年前の文章、写真をご覧いただいてコンテンツとして楽しんでいただければと思います。

ピート・ダイ Pete Dye パーフェクトを求め続ける鬼才

ピート・ダイ

プロフィール
ピート・ダイ(Pete DYE)
1925年、米国オハイオ州生まれ。フロリダ州ロリンズ大学、ステトソン大学に通った後、インディアナポリスで保険外交員として就職。1959年には会社の100万ドル獲得セールスマンになるなどしたが、同年に会社を辞め妻のアリスと共に初めてのコース設計を手がける。その間1958年にはインディアナ・アマチュアで優勝するなどアマチュアゴルファーとしても実力を発揮。ちなみに知名度の点ではアリスのほうが有名だったが、次第にピートも知られるようになり、1963年までは中西部の予算の少ないコースを手がけたものの、スコットランドの名門コースを見て回った経験が生き、それ以来スコットランド・コースの特徴や原理を多くとり入れた小さなグリーン、アンジュレーションに富んだフェアウエイ、ポットバンカー、まくら木を使ったハザードなど独自のスタイルを確立していった。PGAツアーが提唱するギャラリーを意識して作ったスタジアム・コースは彼が一手に手がけており、とくにラウンド終盤(17番が多い)にあらわれる浮島のようにグリーンが水に浮かぶパー3ホールは有名。

主な設計コース
PGAウエスト、TPCソーグラス、ザ・ゴルフクラブ、日本では真里谷CC(千葉県)、ピート・ダイGC(栃木県)などがある。

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キーとなるホールには水をうまくとり入れて戦略性を高くする設計がピート・ダイの特徴 一見するとハザードが多すぎるように感じられるが実際はフェアウェイは広くラフもほとんどないアベレージゴルファーにも十分楽しめるレイアウト

「今年は私にとって非常にうれしい年だ」

「私はプロがチャレンジするコースはメンバープレーヤーにとっても、けっして退屈なものではないと思っている」と語るのは、いま最高のコース設計家として知られるピート・ダイ氏だ。とくにトーナメントの開催を目的としたゴルフコースの設計にかけては、彼の右に出る者はいない。

「もちろん、プロができて、アマチュアができないプレーというのもある。たとえば、ティショットでミスをして、グリーンからまだ250ヤード近く残して、これをリカバリーするというは、グレッグ・ノーマンにできても、メンバープレーヤーにはまず不可能だ。しかし、グリーン周りであるなら、何回かに1回は、メンバーならノーマンのようなショットを打つことも可能なはず。グッドプレーヤーなら、深いバンカーや難しいラフから、脱出する能力を持っているからだ。だからこそグリーン周りを難しくしているんだ。そんな会心のリカバリーをしたときにプレーは忘れられないものだし、それがゴルフというものだからね。
誰も指摘してはいないんだけれど、私の設計コースにはPGAウエストにしても、TPCソーグラスにしても、ラフがほとんどないんだ。もちろん、グリーン周りには、ラフやバンカー、ハザードなどがいっぱいあるけれど、ティからは、広いフェアウエイが待っていて、まず深いラフにつかまるという事がないのが私の設計したコースの特徴」とか。

ピート・ダイの名前を聞くとどうしてもPGAウエストの17番やTPCソーグラスのアイランド・グリーンを思い起こすが、ただ、本人としては、そうしたコースが彼の設計の典型的な例とされるのには、不本意であるようだ。

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アマゴルファーとしても上では確か

「PGAウエスト・スタジアムコースやTPCのソーグラスは、特別な目的を持って造られているんだ。オーナーがダイナミックで劇的なコースレイアウトを望み、それに応えてコースを設計したんだよ。トーナメントのギャラリーはドラマチックな試合展開を望んでいるしね。確かにアベレージゴルファーには難しいかもしれないが、このほかに隣接したいくつかのコースを私が設計しているということが忘れられてしまっているんだ。チャンピオンシップを開催するためのコースとアベレージプレーヤーがプレーをするコースでは目的が異なるという事なんだ。もちろん、数コースを隣接して造る場合には、バラエティがあったほうが、プレーするほうも楽しいはずだし、また、チャレンジする意欲が搔き立てられるコースがあったほうが、メンバーにとっても飽きが来ないはず」

インタビューの最中に、彼はたびたび、目的という言葉とバラエティという言葉を使ったが、ある意味では、この2つの言葉が、彼のコース設計のキーワードになるのかもしれない。

何もない土地を見て、そこからレイアウトを考える際、たとえば、まず彼は、4つのパー3について考える。地形上可能であれば、その4つのパー3をショート、ミディアム、ミディアムロング、ロングに分け、ミディアムとミディアムロングをフロント9に、ショーとロングをバック9に持ってくることを考えるとか。そして、その4つのパー3をそれぞれ、東西南北の方向にレイアウトし、さらにウオーターハザードなり、バンカーといったメインのハザードを、右側に作るホールと左側に作るホールをそれぞれ2ホールずつに分けるといったバラエティを富ませることを考えている。そして、通常であれば、1番ホールは、短めのパー4を持ってきて、インとアウトの上がりの3ホールをパー3、パー5、パー4、あるいは5、3、4といった形にして、プレーヤーを飽きさせないようにする。とすると、自然と地形上の条件などから、レイアウトが決まってくるということだ。

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自らの設計理念をゆったりと語るP・ダイ氏

「良い悪いは別にして、ゴルフというものは、毎年変化している。グリーンは昔に比べれば、かなり短くカットされるようになっているし、フェアウエイもまた同じだ。機械も進歩して、より速いグリーンを作れるようになっている。そして、ボールとクラブの進歩も目覚ましい。そうした中で、そうした進歩に対応できるようにコースも進歩しなければならない」と語るダイ氏。

つねにコースを設計する場合、どんなゴルファーがプレーをし、どんな目的のためにコースがあるかを考えている。それに加えて、時代の流れに敏感で、新しい技術にあったコースを設計しようとする。その目的意識が、従来のコース設計とは、大きくその流れを変えさせているのだろう。

ただ、ゴルフ場といっても、限られたゴルファーだけがプレーする時代とは異なり、時代が新たなコースに対してのニーズを生み出している。もちろん、時代を超えて、変わらない要素も存在するが、そうしたゴルフの本質を知りながら、新たなニーズにも対応できる設計家だからこそ、ピート・ダイ氏はこれほどまでに、評価されるに至ったのだろう。

「今年は、私にとって非常にうれしい年だ」と語るダイ氏。なぜ、うれしい年なのかを聞くと、その答えは、いかに彼がアメリカで高い評価を受けているかを物語っていた。

「3月下旬のトーナメント・プレーヤーズ・チャンピオンシップは毎年、TPCのソーグラスコース、あるいは、アマチュアの試合では、全米アマ、ミッドアマチュア選手権といった大きな大会が、すべて私が手掛けた思い出の深いコースで開催される。とくに全米プロが開催されるインディアナ州のクルックド・スティックGCは、妻のアリスとはじめから最後まで関わったコースとして、非常に思い出の深いコースだ。あのコースは土地の買収からはじめて、コース建設の資金からメンバーまで、私たちが集めて、私があのコースの初代プレジデントとなった。本当に忘れられないコースの一つ。そうしたコースで、大きなゴルフトーナメントが開催されるのだから、ラッキーとしかいいようがない」

自分が設計したコースで、トーナメントが開催される。コース設計家にとって、これほどうれしいものはないだろう。しかも、それが一つや二つの大会だけではない。全米プロはもちろん、ライダーカップやTPC、全米アマといったメジャーに匹敵するような大会の開催が決定しているのだから、彼の設計コースが、いま、アメリカのゴルファーにどれほど評価されているかがわかるはずだ。

「現在でも仕事の40%は既設計コースを見ること」

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そんなダイ氏も、青年時代からゴルフコースの設計家を志していたというわけではない。フロリダのロリンズ・カレッジで法律の勉強をしたダイ氏は、この大学時代に知り合ったアリス夫人と結婚して、婦人の故郷であるインディアナポリスに1950年に引っ越している。そして、ここでは、夫人とともに保険会社のセールスマンとして、しばらく働いていたのだ。アリス夫人は長男のペリーが52年に生まれて、職を離れることになったが、ダイ氏のほうは、10年ほどここで働いている。
その間、ゴルフでは58年にインディアナ州のアマチュアのタイトルを獲得するとともに、保険のほうでも、会社の中で最も若い100万ドル獲得セールスマンとして頭角を現していた。そんなとき、知人の一人からゴルフコースの設計を依頼されたのだ。

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ダイ氏の父のための記念ベル

ダイ氏の父親は、オハイオで1920年代に趣味としてゴルフ場を設計したことがあり、ダイ氏もそうしたゴルフ場のメンテナンスや設計に対して、深い興味を抱いていた。ゴルフを愛し、彼の妻であるアリスもアマチュアプレーヤーとして、彼以上に名前が知られるほどにゴルフを愛していた。それだけにはじめは、趣味でと思っていたゴルフ場設計にダイ氏とアリス夫人はどんどんのめり込んでいくことになる。

もちろん、成功を収めていた保険業をやめ、ゴルフ場の設計家として独立するにあたっても、まったく苦労がなかったというわけではない。インディアナ州でコースを造っていた頃は、低予算のコースが多かったからだ。

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「私はゴルフ場の設計家ではなく建設家だ」というP・ダイ氏

当時、コースのグリーンを造るために、自宅の庭でペントグラスを育てて、それを彼のトラックで、コースに運んだこともあったと伝えられているほどだ。

「私はゴルフ場の設計家ではなく建設家だ」とダイ氏が語るのも、こうした理由からなのだろう。彼は、他の設計家とは異なり、同時に十数コースも設計することはけっしてない。1~2コースだけに絞って、コースの近くに住み込んで、仕上がりまで徹底的に納得するまでこだわる。そして、現在でも、彼の仕事の40%は、これまでに設計したコースを見て回ることだという。

「TPCソーグラスは、できてからそう何年も経っているわけではないが、毎年変化している。皆は気づかないようだけど、とくにグリーンなどは、カッティングの技術も変わり、そのメンテナンスは大きく変わっているんだ。」とダイ氏。だからこそ、彼は自分の設計したコースに通い続けるのだろう。

そして、そんなこだわりがあるからこそ、彼のライバルと目される設計家たちが、大きな事務所と従業員を抱えているのに対して、彼の場合は、事務所も持たず、アメリカ各地を転々としているのだろう。

このインタビューのため、フロリダで彼に会ったときに驚いたのは、彼がレンタカーに乗っていることだった。聞いてみると、ダイ氏は自家用車を持っていないという。コースの設計のために出張する場合には、飛行場にクルマを置いておかなくてはならないし、年間を通して、自宅にいるより出張先にいる時間のほうが多く、自家用車は不経済で、レンタカーのほうがはるかに便利だという。クルマによって、縛られることがないからということだ。

「年間にレンタカー会社に9000ドル近く払っているが、自分でクルマを持っていれば、保険や駐車代で、これでは済まない」という合理的で、柔らかい頭を持っている。
そんな彼だからこそ、従来のゴルフコースとは、まったく異なった新しいコース設計が可能になったのだろう。

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次々と芸術作品を生み出していく記載の素顔はおだやか

1963年にスコットランドに旅行したダイ氏は、そこで大きな影響を受けて帰ってきたという。そして、彼の名前を不動のものにするクルックド・スティックGCやサウスカロライナ、ヒルトン・ヘッドのハーバー・タウン・ゴルフリンクスといったゴルフ場を生み出していくのだ。

ダイ氏の最も好きなコースは、1951年に全英オープンが開催されたロイヤル・ポートラッシュ。自分の設計コースでは、今年ライダーカップが開催されるキアワ・アイランドのオーシャン・コースが最も気に入っているとか。その理由は、自然が残り、理想的な土地にゴルフ場が造られているからだという。

「キアワのオーシャン・コースは、18ホール中10ホールが海に面しているんだよ。日本でも同じだろうが、いまゴルフ場の建設が予定されている土地の90%が、コースには適していない。川奈ホテルのような理想的な土地にコースをこれから造るというのは、アメリカでも非常に難しくなっている」と語るダイ氏。今後の目標を聞くと、毎年1コースずつ、新しいコースを手がけ、いつかパーフェクトといえるようなコースを造り上げたいと答えた。

そんな彼とインタビューをしながら、かつてダイ氏が設計したフロリダのサイプレス・リンクスGCのオーナーの言葉を思い出した。
「ピート・ダイのような設計家のゴルフ場のオーナーというのは、ちょうどピカソやゴッホといった芸術家の作品を持っているコレクターと同じなんだ。私は彼の設計コースを所有していることに誇りを感じているし、彼の設計したコースは永遠に残っていく」
あるいは、ピート・ダイというのは、地球と大地を相手にした彫刻家といったほうがいいのかもしれない。

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ゴルフトゥデイ創刊号当時の編集長が語る思い出話も是非読んでみてくださいね。

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