【30年前】日米人気No.1設計家が語る「名コース誕生の条件」ピート・ダイ
ゴルフトゥデイ創刊600号記念
「現在でも仕事の40%は既設計コースを見ること」
そんなダイ氏も、青年時代からゴルフコースの設計家を志していたというわけではない。フロリダのロリンズ・カレッジで法律の勉強をしたダイ氏は、この大学時代に知り合ったアリス夫人と結婚して、婦人の故郷であるインディアナポリスに1950年に引っ越している。そして、ここでは、夫人とともに保険会社のセールスマンとして、しばらく働いていたのだ。アリス夫人は長男のペリーが52年に生まれて、職を離れることになったが、ダイ氏のほうは、10年ほどここで働いている。
その間、ゴルフでは58年にインディアナ州のアマチュアのタイトルを獲得するとともに、保険のほうでも、会社の中で最も若い100万ドル獲得セールスマンとして頭角を現していた。そんなとき、知人の一人からゴルフコースの設計を依頼されたのだ。
ダイ氏の父のための記念ベル
ダイ氏の父親は、オハイオで1920年代に趣味としてゴルフ場を設計したことがあり、ダイ氏もそうしたゴルフ場のメンテナンスや設計に対して、深い興味を抱いていた。ゴルフを愛し、彼の妻であるアリスもアマチュアプレーヤーとして、彼以上に名前が知られるほどにゴルフを愛していた。それだけにはじめは、趣味でと思っていたゴルフ場設計にダイ氏とアリス夫人はどんどんのめり込んでいくことになる。
もちろん、成功を収めていた保険業をやめ、ゴルフ場の設計家として独立するにあたっても、まったく苦労がなかったというわけではない。インディアナ州でコースを造っていた頃は、低予算のコースが多かったからだ。
「私はゴルフ場の設計家ではなく建設家だ」というP・ダイ氏
当時、コースのグリーンを造るために、自宅の庭でペントグラスを育てて、それを彼のトラックで、コースに運んだこともあったと伝えられているほどだ。
「私はゴルフ場の設計家ではなく建設家だ」とダイ氏が語るのも、こうした理由からなのだろう。彼は、他の設計家とは異なり、同時に十数コースも設計することはけっしてない。1~2コースだけに絞って、コースの近くに住み込んで、仕上がりまで徹底的に納得するまでこだわる。そして、現在でも、彼の仕事の40%は、これまでに設計したコースを見て回ることだという。
「TPCソーグラスは、できてからそう何年も経っているわけではないが、毎年変化している。皆は気づかないようだけど、とくにグリーンなどは、カッティングの技術も変わり、そのメンテナンスは大きく変わっているんだ。」とダイ氏。だからこそ、彼は自分の設計したコースに通い続けるのだろう。
そして、そんなこだわりがあるからこそ、彼のライバルと目される設計家たちが、大きな事務所と従業員を抱えているのに対して、彼の場合は、事務所も持たず、アメリカ各地を転々としているのだろう。
このインタビューのため、フロリダで彼に会ったときに驚いたのは、彼がレンタカーに乗っていることだった。聞いてみると、ダイ氏は自家用車を持っていないという。コースの設計のために出張する場合には、飛行場にクルマを置いておかなくてはならないし、年間を通して、自宅にいるより出張先にいる時間のほうが多く、自家用車は不経済で、レンタカーのほうがはるかに便利だという。クルマによって、縛られることがないからということだ。
「年間にレンタカー会社に9000ドル近く払っているが、自分でクルマを持っていれば、保険や駐車代で、これでは済まない」という合理的で、柔らかい頭を持っている。
そんな彼だからこそ、従来のゴルフコースとは、まったく異なった新しいコース設計が可能になったのだろう。
次々と芸術作品を生み出していく記載の素顔はおだやか
1963年にスコットランドに旅行したダイ氏は、そこで大きな影響を受けて帰ってきたという。そして、彼の名前を不動のものにするクルックド・スティックGCやサウスカロライナ、ヒルトン・ヘッドのハーバー・タウン・ゴルフリンクスといったゴルフ場を生み出していくのだ。
ダイ氏の最も好きなコースは、1951年に全英オープンが開催されたロイヤル・ポートラッシュ。自分の設計コースでは、今年ライダーカップが開催されるキアワ・アイランドのオーシャン・コースが最も気に入っているとか。その理由は、自然が残り、理想的な土地にゴルフ場が造られているからだという。
「キアワのオーシャン・コースは、18ホール中10ホールが海に面しているんだよ。日本でも同じだろうが、いまゴルフ場の建設が予定されている土地の90%が、コースには適していない。川奈ホテルのような理想的な土地にコースをこれから造るというのは、アメリカでも非常に難しくなっている」と語るダイ氏。今後の目標を聞くと、毎年1コースずつ、新しいコースを手がけ、いつかパーフェクトといえるようなコースを造り上げたいと答えた。
そんな彼とインタビューをしながら、かつてダイ氏が設計したフロリダのサイプレス・リンクスGCのオーナーの言葉を思い出した。
「ピート・ダイのような設計家のゴルフ場のオーナーというのは、ちょうどピカソやゴッホといった芸術家の作品を持っているコレクターと同じなんだ。私は彼の設計コースを所有していることに誇りを感じているし、彼の設計したコースは永遠に残っていく」
あるいは、ピート・ダイというのは、地球と大地を相手にした彫刻家といったほうがいいのかもしれない。
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