【30年前】日米人気No.1設計家が語る「名コース誕生の条件」加藤 俊輔
ゴルフトゥデイ創刊600号記念
ゴルフトゥデイ創刊第2号をゴルフサプリでご紹介する企画。30年前に掲載された日米人気No.1設計家が語る「名コース誕生の条件」を加藤 俊輔に取材して記事にしました。当時の編集長のコメントとともにお届けします。
GOLF TODAY本誌 創刊第2号/41-43ページより
ゴルフトゥデイ編集長が当時を振り返る
加藤俊輔は三井住友VISA太平洋マスターズの舞台である、太平洋クラブ御殿場コースを代表とする多くの名コースを作った設計家。しかし中学では画家を目指し、高校時代は文学と本当は文系に進みたかったのだが、親の説得で技術者になり、当初は海底トンネルの設計に携わった経歴を持つ。
スポーツも万能でテニスでは東京選手権連覇、全国ランキングでも8位、ゴルフも2年でシングルなるという腕前。だからこそコース作りもユニークで、コースを色に例えたり、各ホールに女王様、王様、漁師、狩人といったキャラクターをイメージしたりと、コース作りに物語を隠し味として取り入れているなど、話は尽きなかった。
創刊第2号の記事内容を覗いてみよう
30年前のゴルフトゥデイ創刊2号の実際の記事内容です。あくまでも過去のもので、現在は販売終了しているものも多数あります。30年前の文章、写真をご覧いただいてコンテンツとして楽しんでいただければと思います。
加藤 俊輔 自然に物語を吹き込むストーリーテラー
プロフィール
加藤俊輔(Shunsuke Kato)
1933年11月12日東京生まれ。日本大学工学部卒業。同年、熊谷組に入社する。学生時代にゴルフを始め、入社時に腕前はローシングルであった。1974年、(株)太平洋クラブに入社し、コース設計分野に進出する。同社時代には、太平洋クラブ軽井沢コース、高崎コース、益子コース、相模コース、市原コース、さらに毎年JPGAトーナメント・VISA太平洋クラブマスターズが開催される、太平洋クラブ御殿場コースなどを手がけた。コース設計家として1986年に独立。カトウ・インターナショナル・デザイン(株)を設立する。自然の地形を生かしたコース造りが特徴で、耽美派と言われ、ビューバランスを大切にした美しい作風を持つ。剛のイメージを持つコースや、柔のイメージを持つコースなど、作風は幅広く「360度」の対応性に富んだ設計をする。サンドトラップの数が18ホールでせいぜい30前後と少なく、1つが大きいことも特徴となっている。最近では、グラスバンカーを取り入れるケースが多く見られ、昨年、韓国にオープンした清州カントリークラブもその一つである。スコティッシュ・スタイル・リンクスも素晴らしいコースに仕上がっている。
主な設計コース
太平洋クラブ、軽井沢コース、御殿場コース、ニュー南総豪富クラブ、伊豆ゴルフクラブ
60%程度のストレスを与えるトラップが最適
「ボクは10年経ったら、ゴルフ場を自然に返したいんですよ」と加藤俊輔氏は切り出した。ゴルフが本来、自然の中で戯れるスポーツであるならば、あくまで自然と調和したかたちでゴルフ場が造られるべきである。人間が大自然の一部を借りておいて、横暴にも谷を埋めて、丘を削って、まっ平らにしてなんてことは考えられない。何百年、何千年を経て、生きてきた樹木を1本でも「すまん」といって切っている現実があれば、少しでも自然を残したいという発想が出てくるのは当たり前だという。
「長い風雪に耐えて変化してきた自然の形というのは、得もいわれぬ美しいバランスを持っているものなんですよ。だから、できるかぎり残せるものは残して、もとの自然を生かした中で、手を加えていきたい。そして、いつの日か、人間の仕業がまわりの自然と馴染み、もとからあった自然のようになってくれれば、これは最高なわけですよ」
図面を見ながら工事関係者に指示を出す加藤氏
加藤氏は造成現場で、「ゴルフ場に直線はない」とよく口にする。自然に直線は存在しない。ゴルフ場を自然に返すときに、直線が出ては返せなくなる。マスタープランを練るときには、まず、どのように18ホール入れたら、一番自然と調和するかを考える。グリーンやティグラウンドの後ろに法面を造ってまで、距離稼ぐようなことは嫌う。何が何でも、ロングホールをどこにおいてというようなこともしない。どのようにすれば、自然の中にグリーンとティグラウンドをピタッとおさめることができるのか。パー71になろうが、自然を破壊するようなことだけはしたくないという。
「もともと、いい地形だったんですね、といわれたときには、最高に嬉しいですね。ゴルフ場造りは、長い工事日数をかけて、自然を切り盛りして、ものすごい土量を動かします。動かしたことがわからないということは、周りの自然に上手く馴染むように土地を切り盛りしたということですからね。ニヤッとしますし、しめたと思いますね。」
いいゴルフ場というのは、あらゆるランクのプレーヤーが、それぞれのレベルに合わせて楽しさを引き出していけるものである。加藤氏が造るゴルフ場もその例にたがわない。ローハンデプレーヤーには厳しく、ハイハンデプレーヤーにはやさしく造られていることが多い。どのようなレベルのプレーヤーにも、同じようにゴルフを楽しんでもらいたいという配慮からである。
「それぞれのレベルの人が、僕が考えていたようにゴルフを楽しんでくれていることがわかったときには、設計家冥利に尽きますね。自分の計算や組み立てが間違っていなかったということですからね」
頻繁に現場に顔を出しチェックすることを忘れない
ゴルフ場はけっして難しすぎてはいけない。スコアメイクも大きな楽しみの一つである。あまりにタフに造り過ぎて、征服できないトラップばかりが眼前に横たわれば、トライするごとに失敗を繰り返すだけである。
「ゴルフ場というのは、ゴルファーに軽いストレスを感じさせて帰すのが理想的だと思うんですよ。失敗と成功の比率が7対3に置かれたら、これはタフすぎます。6対4。そうすると、大きなストレスがたまらない。軽いストレスがたまると、これくらい心地いい快感はないんです。くやしい。今度来たらやっつけてやるぞ。これが、何回もそのコースを尋ねて来させる秘訣なんですよ」
あるレベルの人には6対4だが、あるレベルの人は8対2というのではいけない。ローハンデプレーヤーからハイハンデプレーヤーまで、全員が18ホール回り終わると同じ様に6対4の軽いストレスを残して帰れるようにトラップをセットするのが理想だという。
各ホールごとに造形の美学である濃淡を演出
ゴルフ場造りは、1番ホールから順に進行していくわけではない。8番を造れば、次に2番、14番と、それも、フェアウエイの一部、あるいはティグラウンドだけといった具合に進行していく。設計家は当然のこととして、造成開始以前から完成時の全体像を頭の中に描いている。
「人間でいえば、足の先から順に造っていけば、それはラクですよ。でも、何番ホールのどこを削って、何番と何番のどこに運んでというのがあれば、現実には右肩を作って、次に左耳を作ってという具合になるのは仕方のないことです」
秒読みのスケジュールをこなす
加藤氏がマスタープランを描くときに、設計家としてどれほどのところまで計算しているのであろうか。ミドルホールのグリーンを例にとれば、第2打地点からの景観、グリーンまで歩いていく勾配、周りの地形との調和、そのゴルフ場の持つ18ホールを流れるコンセプト、それだけではない。
「ボクは現地を見る前から図面の段階で、ここを何メートル削って、どのようなグリーンを造れば、何キロ先の山のトップがどういう形で見えてくるかというところまで読んでいます。グリーンが出来上がれば、借景になる遠くの人さまの山がそのホールの額縁の役目をするんですからね」
いくらいい絵でも、額縁がないと引き立たない。グリーンも周りが空ばかりだと、額縁がないのと同じである。ゴルフ場も借景に助けられる部分が多分にある。設計家は、当然、それを計算に入れて、全体のバランスをとりながら、マスタープランを描いていかなければならない。
妥協を許さない厳しい目が光る
「このときにグリーンの真ん中に山のトップが来てはいけないのです。これでは、バランスがとれすぎるのです。アンバランスの妙が自然です。それが、造形の美学なんです」
加藤氏はゴルフ場を設計する段階で“造形上の濃淡”を演出することにもっとも神経を傾ける。アクセントの強いラインと弱いラインを上手いバランスでつないでいくのである。1ホールのティグラウンドからグリーンまで。そして、ホールごとにも濃淡をつけていく。
「色でいえば、何十色かあって、たとえばこのゴルフ場は赤でいくとしたら、ホールごとは赤の濃淡なんです。そこに紫は入ってきません。つまり、平らなホールの次にうねったホールが来るというようなことはないのです。それでいて、同時に違う場所で黒のゴルフ場や、青のゴルフ場を作っているのです」
ゴルフ場の色は、自然の地形やクライアントの運営方針、設計希望などから総合して決められていく。これまでに手がけたゴルフ場は、約60。現在、プロジェクトを組んで造成中のゴルフ場が16。この中には台湾や韓国など、海外のゴルフ場も5つ含まれる。
「これまでに造ったゴルフ場は、すべて色が違います。そして、私はすべてのホールを明確に思い出すことができます。たとえば、どのゴルフ場のどのホールが好きか。これは比べることはできません。赤のゴルフ場はその色の中では最も素晴らしい仕上がりなんです。もちろん赤の好きな人もいれば、黒が好きだという人もいます。僕にとっては、色はすべて綺麗ですし、それぞれの特徴をもっていますので、やはり自分なりにすべてが好きなんです」
“造形上の濃淡”の演出に神経を傾けるという加藤氏
設計家は18ホールに一つの物語を書きこんでいく。メルヘンタッチにするのか、ハードボイルド調で仕上げるのか。これが赤であり、黒であるというゴルフ場の色である。
「物語に濃淡をつけるには、いつもいつも理想ばかりは追えないんです。数列と同じで、あるものを選ぶと何かを捨てることになります。メルヘンストーリーのゴルフ場ならば、女王様ばかり出すわけにはいかないんです。女王様が1回出たら、王様が来て、漁師が来て、狩人が来て、メルヘン村の18人が登場して、一つのストーリーが出来上がるのです。女王様ばかりが登場すると、18ホール回り終わったときにあまりに濃淡がなさすぎて、各ホールの印象もなければ、どのホールがどのようになっていたというようなことも覚えていないのです」
設計家の苦しみは、各ホール事にベストばかりを拾うのではなく、ベターなものを組み合わせて、総合的にベストなものを作らなければならないところにある。
「どこかの青の素晴らしいホールがあるから持ってきて、次にまた別のところの赤の素晴らしホールを持ってこよう、という人がいますが、これはまったくナンセンスです。メルヘンストーリーに突然、ハードボイルドの主人公が出てくるようなものです。それらのホールはそれぞれこのゴルフ場の18ホールの濃淡に演出されて存在するからこそ素晴らしい青であり、赤なんです。」
少年時代は画家を志望 趣味は小説創作と写真
白い図面の上に新しい物語が描きこまれていく
加藤氏のゴルフとの出会いは早かった。昭和20年代後半、まだ日本にゴルフブームが訪れる以前のことだった。大学に上がった頃、友人の影響で初めてクラブを握ったのである。熱中していたテニスでは、東京選手権を連覇、全国ランキング8位の成績をおさめた運動神経の持ち主である。ゴルフの腕前もメキメキ上達して、2年後にはシングルプレーヤーに成長した。
「大学は文科系に進みたかったんですが、親に説得されて技術系を選び、技術者として就職しました。専門は海底トンネル。その施工では、日本でも代表的な経歴を持った男なんですよ」
20歳代には、しばしば海外に勉強や研修で出かける機会を与えられた。そして、趣味の域ではあるが、あらゆる機会に世界中のゴルフ場を見て歩いた。
「当時、日本のゴルフ場に対して疑問を持っていたのです。昭和30年頃から日本は大型土工の時代に入って、ブルドーザーで大きな木も何もみんなふっ飛ばして、みるみる平にしていました。これでは、どこに作っても同じゴルフ場が出来上がるではないか。自然の中を縫うようにして作られたホールなど、どこにもない。この疑問は海外のゴルフ場を見て解決しました。海外では自然の地形をきちんと生かして、まわりの自然とうまく調和させたなかで作っていたのです」
40歳のときに転機が訪れた。会社には何の不満もなかったが、ほかのことをやってみたくなり、レジャー関係の会社に転職した。そして、そこの会社がゴルフ場を作ることになり、ゴルフ場関係の仕事に携わることになった。
「設計や造成だけでなく、経営にも参画しましたし、管理の勉強もしました。その間に海外のゴルフ場もずいぶん見て歩きました。どんどん、ノウハウが蓄積されていったんですが、それと平行して日本の設計家に対する疑問も生まれてきたのです。それで、まわりからの勧めもあって、52歳のときに独立したのです。あとはその日から仕事がワーッと来て、走りっぱなしです」
加藤氏はかたくなにゴルフ場の設計家を目指して生きてきたわけではない。少年時代には画家になりたくて絵の勉強に明け暮れた。高校時代には出版社に投稿した小説が雑誌に掲載されたこともある。そして、趣味の写真。好きだったゴルフ。いま、振り返ると、それらすべてが自分の中でいい働きかけをして、現在の仕事に集約しているのではないかという。
世界へも目を向けつつある
昭和8年11月生まれ。57歳。現在、アメリカやカナダからもゴルフ場の設計依頼が舞い込んできている。これからは世界中に出ていくという。今年はヨーロッパで開催されるゴルフサミットに出席して、カトウ・インターナショナルの看板も掲げる。
「ゴルフ場は、地形の善し悪しが出来上がりの80%を決定します。海外で仕事をするときには、日本人のデザイナーが行って、日本の名前を高められる内容のものを選んでつくっていきたいと思っています」
と、熱っぽく語る。
ゴルフトゥデイ創刊600号企画とは
ゴルフトゥデイ600号企画
ゴルフトゥデイ創刊号当時の編集長が語る思い出話も是非読んでみてくださいね。
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