渋野日向子が大ギャラリーを引き連れてプレー!「皆さんの声援で楽しいを通り越して、楽しすぎた」
樋口久子三菱電機レディスゴルフトーナメントで、渋野日向子が国内女子ツアーに登場
大ギャラリーを引き連れてプレーをする渋野日向子
渋野日向子、畑岡奈紗の米ツアーメンバーの参加で大いに盛り上がった樋口久子三菱電機レディス。とくに渋野は、大ギャラリーを引き連れてのプレーで、ファンを魅了した。
(写真/相田克己)
渋野人気健在。最終日の猛チャージでさらに盛り上がる
10月の月末の週、埼玉県飯能市にある武蔵丘GCが大いに沸いた。
初日のギャラリー数は、平日としては今季国内最多の5,587人(ちなみに2日目は6,602人、最終日は7,046人)。その中心にいたのは、ディフェンディングチャンピオンとして出場した渋野日向子だった。
疲れがあったように思う。10月9日まで米・カリフォルニア州で戦い、先週は韓国で4日間トーナメントに参戦したあと帰国。しかも、9月以降は予選落ち4回と、なかなか調子が上がらなかったこともあって、精神的な疲れも重なっていたはずだ。
また、試合に出るからには、自分のパフォーマンスを楽しみにしてくれている日本のファンに、“明るくて強い”渋野日向子を見せなければいけないという思いもあって、相当なプレッシャーも感じていたに違いない。
しかし渋野は、そんな諸々の逆風を見事にはねのけた。
初日こそ1バーディ、3ボギーで2オーバー61位タイと出遅れ、10番スタートとなった2日目もボギースタートとなり、ハーフターンでは3オーバー。何とかバックナインで3バーディ、1ボギーと2つ戻し、1オーバー28位タイで予選を通過した。
2日目のハーフターンのとき、トーナメントプロデューサーの戸張捷氏が渋野に、「いなくなったら困る」と声をかけたそうだが、おそらくファンも同じ気持ちで彼女のプレーを見守っていたことだろう。
渋野のゴルフを楽しむ姿がファンを魅了
そして迎えた最終日。「予選を通過して気分的に楽になった」と本人は振り返っていたが、ここからファンが待ち望んでいた“渋野劇場”が幕を開ける。
最終日も、渋野にとっては屈辱ともいえるインスタートだったが、この日2番目に難しい10番(2日目はボギー)をパーで切り抜けると、11番はあわやイーグルかと思わせるスーパーショットで40センチにつけ、バーディを奪取。さらに13番で7メートルのバーディパットを沈めると、14番では第2打を50センチにつけて難なくバーディを決めた。
さらに、後半も、1番10メートル、4番6メートル、6番10メートルという長いバーディパットをねじ込み、2つのボギーはあったものの、この日5アンダーで回った小祝さくらに次ぐ、4アンダー68をマークし、19人抜きの9位タイでフィニッシュした。
「ショットの調子は良くなかったけど、長いパットが決まってくれるなどラッキーも重なって何とかスコアがまとまった。もちろん、悔しい気持ちはあるけど、上のほうで終われたことは素直に喜びたいし、少しは盛り上げられたかな」とは試合後の渋野。
また、ファンへの感謝も言及。
「初日は少し緊張したけど、2日目からは皆さんの声援もあって楽しいを通り越して、楽しすぎたくらい。帰ってきて本当に良かった。今度はもっと成長した姿をお目にかけられるように頑張りたい」と語っていた。
来週は、国内唯一の全米女子プロゴルフ協会公式戦、TOTOジャパンクラシックに出場。今年の目標の一つが、同大会に米ツアーメンバーとして出場することだっただけに、本人もワクワクが抑えられない様子。予選落ちなしの4日間競技。「初日から積極的に攻めていきたい」と意気込んでいた。
その言葉通り、華やかで鮮やかな“渋野劇場”が展開されることを期待したい。
一方、渋野とともに凱旋帰国し、今季初めて国内ツアーに出場した畑岡奈紗は、スイング修正中で“らしさ”を発揮することができなかったが、随所で米6勝のテクニックを披露。TOTOジャパンクラシックでの巻き返しに注目したい。
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真鍋雅彦(まなべ・まさひこ)
1957年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。
1986年に退社し、フリーライターとしてナンバー、週刊ベースボール、ラグビーマガジン、近代柔道などで執筆。
ゴルフは、1986年からALBAのライターとして制作に関わり、その後、週刊パーゴルフ、週刊ゴルフダイジェストなどでも執筆。現在はゴルフ雑誌、新聞などで記事を執筆するほか、ゴルフ書籍の制作にも携わっている。