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T・カイト、B・クレンショーら世界ゴルフ殿堂入り選手を5人も輩出したレッスンの巨星ハービー・ぺニックってどんな人?

佐渡充高のプレミアム・ファイル

2023/12/17 ゴルフサプリ編集部

佐渡充高のプレミアム・ファイル

亡くなる半年前ペニックとの一期一会。僕は94年ヒューストンオープンの会場で初めてペニックに対面。前立腺がん、胃潰瘍などで体重は50キロ。視力、聴力も低下、看護師が付き添い車椅子だった。それでも「ひとりでも多くのゴルファーに会いたい」と現地へ。僕の言葉を丁寧に聞き、握手のあとに震える手で丁寧にサインを記してくださった。

ゴルフ番組やゴルフ雑誌ではあまり語られることのないトピックを、ゴルフジャーナリストやトーナメント中継の解説者として活躍する佐渡充高が取り上げ、独自の見解とともにお届けします。

GOLF TODAY本誌 No.618/115ページより

ゴルファーを奮い立たせるハービー・ペニックの心揺さぶる言葉

グリーンブック,直筆サイン

グリーンブックと直筆サイン

レッスンの巨星ハービー・ぺニック(95年90歳で他界)の遺した言葉は生まれ故郷で終生過ごしたテキサス州のみならず、今も世界のゴルファーの心に生き続けている。

8歳でキャディ職に就き、高校卒業後プロゴルファーに。PGAツアーの舞台でも知られるオースティンCCの所属プロを兼ねながらテキサス大学ゴルフ部監督に。

引退後はオースティンCCに「名誉教授」として戻りゴルフと人生の「師」として終生ゴルファーに寄り添った。

大学監督33年間で米南西部地域の優勝21回。教え子にはプロの世界へ羽ばたき、全米オープン勝者T・カイト、B・クレンショーら5人の世界ゴルフ殿堂入り選手を輩出。

「ハービーイズム」は脈々と受け継がれJ・スピース、現在世界ランク1位S・シェフラーらも躍動。他大学でも教え子が指導者として活躍し、テキサス工科大学からプロ転向し3カ月でDPワールド初優勝、ライダー杯も出場のルドビグ・アベルグ(スウェーデン)も流れをくむひとりだ。

1995年米ゴルフワールド誌4月14日号。

1995年米ゴルフワールド誌4月14日号。べン・クレンショー2度目のマスターズ優勝の瞬間。

ハービーイズムで最も印象的な出来事は95年マスターズ。勝者はペニックの愛弟子クレンショーで2度目の制覇だった。

病床のペニックからレッスンを受け挑むも、大会前に師は他界。出場直前、最後に授かった言葉を胸にプレーし18番グリーンで泣き崩れ「私は15本目のクラブを持っていた。それはハービー」と恩師に勝利を捧げた。

同大会はスタンフォード大学1年で世界が大注目のタイガー・ウッズが初出場、ローアマ戴冠も重なり話題は2人に集中。

が、僕はもうひとつの物語も忘れることができない。

95年マスターズはデービス・ラブⅢも父と慕うペニックへ捧げる2位だった

デービス・ラブⅢ

ラブ20歳。1985年ウォーカー杯出場時に両親と。母ペンタ(2年前94歳で他界)もゴルフ上級者だった。米ゴルフダイジェスト2012年10月号より。

最終日66で一気に1打差単独2位と躍進進したデービス・ラブⅢだ。

彼の父ラブJr.はテキサス大学出身、ペニックの愛弟子でツアープロとして全英オープン6位など活躍後に指導者に転身。ペニックの継承者と高い評価受け、全米を飛び回る日々を送っていた。

87年長男ラブⅢのツアー初優勝、88年マスターズ初出場に歓喜し、父子でさらなる夢を描いたが、同年11月フロリダ州から帰宅途上の飛行機事故で帰らぬ人に。

父と師を失い一家の大黒柱となったラブをペニックは懸命にサポートし続けた。

実は、ラブⅢは直前まで95年マスターズの出場権がなかった。「もうひとりの父」と慕うペニックへ朗報を届けたい一心で最後の切符を得るため前週の試合に出場。

ラブⅢのメンターだったT・カイトが病床のペニックに「最終日首位で迎えましたよ」と伝えると、力を振り絞るように2回掌を合わせ拍手の仕草、その7時間後に息を引き取った。

ほぼ同時刻、ラブⅢは出場直前にペニックから届いたメッセージ「 Take Dead Aim(目標に全集中)」を胸にプレーしプレーオフの激闘を制し出場権を獲得。

勝利直後に訃報に接し「実の父を失った時のよう」と呆然と立ち尽くした。マスターズはラブⅢもペニックへの万感の思いで出場し誇れる単独2位を天国に届けたのだった。彼もまたハービーイズムを受け継ぎ次世代選手を熱くサポートしている。

ハービー・ペニック/ティーチングプロ

ハービー・ペニック

1904年テキサス州生まれ、8歳時に地元オースティンCCでキャディをしながらゴルフを独学で学び、18歳で同クラブのヘッドプロに。ツアー競技にも参加するが、サム・スニード出現に衝撃を受け競技引退。

1931年からテキサス大学ヘッドコーチも兼務し多くのトッププレーヤーを育成。1992年87歳時に出版されたリトル・レッドブックは半世紀に渡るレッスン経験の粋を集めた書でベストセラーに。短いエピソードで綴られた初の技術書。没後の02年に世界ゴルフ殿堂入り。

佐渡充高

●文/佐渡充高
さど・みつたか
上智大学法学部卒業。1985年に渡米し、USPGAツアーを中心に世界のゴルフを取材。2022年まで32年間NHKゴルフ解説者。2023年からBS放送局『BSJapanext』にて「大正製薬 Presents PGA TOUR TV Program PGA ツアー」の解説者に。


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