不適切にもほどがある? 昭和のゴルフは課長以上じゃなければできなかったって本当?
ロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が現場で感じたゴルフエッセイ【毒ゴルフ・薬ゴルフ】第110回
ゴルフの虜になってもうすぐ半世紀。年間試打ラウンド数は50回。四六時中ゴルフのことばかりを考えてしまうロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が、コースや色々な現場で見聞きし、感じたことを書いたのが【毒ゴルフ・薬ゴルフ】です。大量に飲めば死んでしまう毒も、少量なら薬になることは、ゴルフにも通じるのです。
昭和のゴルフの世界は男子校の運動部みたいに汗臭いものだった?
タイムマシンに乗って昭和のゴルフコースに行ったとします。
最初の違和感は、帽子をかぶっているゴルファーがほとんどいないことだと思われます。
ゴルフで着帽が多くなったのは20世紀末に、鮮烈なデビューをして快進撃を続けたタイガー・ウッズがナイキのキャップを被っていたことと、それに便乗して広告代理店が企業のロゴを国際映像に流す方法として帽子に注目し、ツアープレーヤーが企業ロゴのキャップを被ってトーナメントに出るとCM料を払い、優勝すればボーナスも出すという戦略をとったことで、キャップを被ってゴルフをするツアープロが激増して、それを見たアマチュアゴルファーにも、一気に広まったのです。
それ以前の昭和のゴルフコースで、キャップを被ってプレーしているゴルファーがいると、僕は警戒したものでした。基本的には二種類のタイプだったからです。
一つは、元高校球児で「帽子をかぶらないと、運動している気にならない」という人たちです。根性剥き出しで、体育会系の脳ミソ筋肉系の人種が苦手でした。
もう一つは、「私はこのコースの委員ですよ」という制服感覚で、そのコースの委員会の委員だけに配られるコースのロゴ入りの非売品のキャップを自慢気に被っているパターンです。(これが、どういうわけだか、赤などの目立つカラーのキャップが多かった)
昭和53年に13歳でコースデビューした僕にとって、昭和の時代はジュニアゴルファー、学生ゴルファーと特別な目で見られる目立つ存在でした。一部の保守的なゴルファーからは子供がゴルフをするとは非常識だと虐められることも多々あったので、委員のキャップを被って、パトロールするようにゴルフをしている人たちが苦手でした。
バブルは昭和の終わりから始まりましたが、それまでは、女性ゴルファーが本当に少なかったことも特徴的です。(バブル期に、ドーンと女性ゴルファーが増えたのです)
名門と呼ばれていたコースでは、会員は男性のみ、日曜日は女性のプレー禁止、という令和では考えられない決まりが、むしろ、誇らしげに掲げられていたのです。
『ノーズロ』なんてゴルフ用語が、初心者用のゴルフ用語説明に載っていたりしたのも、ゴルフが男性社会だった証明かもしれません。
グリーンの外からいきなりカップインしてしまうことをノーズロと言いました。ノー・ズロースの略で、ズロースは女性の下半身の下着の古い表現です。何ともお下劣な連想で成り立っている用語で、令和のゴルフコースでは、オールドゴルファーでも滅多に口にしません。
思いつくままに書きましたが、男性オールドゴルファーだけで集まると、昭和のゴルフは酷かったね、と笑い話をしつつ、「でも、良かったよなぁ」なんて感じになるのです。
接待ゴルフはスロープレーでマナーも悪かったという話は、ほとんどが嘘か誤解だった?
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