1. TOP メニュー
  2. スコアに効く
  3. メンタル
  4. 「全米オープンに匹敵するラフ」を躱して「10回打って1回も入らないライン」を沈めた今平周吾の心技体

「全米オープンに匹敵するラフ」を躱して「10回打って1回も入らないライン」を沈めた今平周吾の心技体

プロが分析するプロの心技体「日本オープン」

2024/11/16 ゴルフサプリ編集部

日本オープン

今年は日本ゴルフ協会発足100周年のメモリアルイヤー。「日本オープン」の舞台は東京ゴルフ倶楽部だった。東京ゴルフ倶楽部での「日本オープン」と言えば、1988年のジャンボ尾崎、青木功、中島常幸の優勝争いが有名だが、今年も18番でドラマが待っていた。

GOLF TODAY本誌 No.630/137〜139ページより
取材·構成·文/野中真一 撮影/相田克己 

想定を超えたラフ覚醒した2人

日本オープン
日本オープンのラフは120mm前後を想定していた。しかし、今年のラフは200mmを超えていた。 東京ゴルフ倶楽部の担当者は「長雨と猛暑の影響で芝を刈れない時期が続き、ここまで伸びてしまった」という事情を教えてくれた。200mm以上のラフは関係者、そして選手にとっても想定外だった。

18番で今平が20mのバーディを決めた歓声が木下に聞こえた

優勝候補の1人だった中島啓太は初日にラフに入ったボールを打とうとして、2回連続で空振り。石川遼は「全米オープンに匹敵するラフ」と語っていた。

多くの選手が長いラフに苦しむなか、最終日をトップタイで迎えたのは木下稜介だった。そのプレースタイルは今シーズンの前半とは別人だった。18ホールを帯同した解説者の田中秀道に話を聞くと、
「元々は生粋のドローヒッターでしたが、今年の夏頃から球筋を変えたそうで、完璧なフェードヒッターになっていました。フェードボールでなかったらもっとランが出ているので、ラフに入れる回数が増えていたでしょう。このスコアでは回れなかったと思います」

前半5ホールを終えた時点で最終組の木下稜介と一つ前の組でプレーする今平周吾が3アンダーで並び、ここから一騎打ちがはじまった。8番で今平がバーディを沈めると、その直後に木下が約8メートルのバーディパットを決めた。9番ホールでは木下がボギーで後退するが、今平も11番でボギー。ふたたび、スコアが並ぶ。一進一退の攻防が続くなか、木下が17番を迎えた時点で、前の組にいる今平が1打リードしている展開だった。

ここから2つの奇跡が起きた。17番で木下が絶体絶命のバンカーからチップインバーディ。その時点で今平のスコアに追いついた。そのときの歓声は18番ホールの2打目地点にいた今平に聞こえていた。ずっとグリーンを見ていた今平だったが、歓声に気づいて木下がいる17番グリーンを振り向いた。試合後に話を聞くと、
「木下さんが手を挙げていたのでバーディだなと思った。追いつかれたことで、集中力が高まりました」

日本オープン

17番では深いガードバンカーからチップインバーディ。4日間を通した平均パット数は1位だった。

今平の2打目はグリーンをとらえたものの、バーディパットの距離は20m。今平は「10回打って1回も入らないライン。最初にフックして途中からスライスだった。パーでも仕方ないと思っていた」と語ったが、2017年からキャディをする柏木一了は違って見えた。

「なんとなく入る雰囲気というかオーラが出ていました。普段は感情を出さない選手。バーディパットを決めた後にあんな大声を出して叫んだことも、ボールをギャラリーに投げ入れるのもはじめて見ました。そもそも、この試合はいつもと違っていた。コースに来る時間も早かったし、しっかり準備をしていた」

柏木一了

「8年間キャディをやっていて、はじめて見る顔をしていた」
柏木一了キャディ

今平にとっては特別な日本オープンだった。実家は東京ゴルフ倶楽部から車で15分の距離にある。優勝会見では「ジュニア時代から憧れていたコースで、日本オープンに勝てたことは本当にうれしかった」と語っていた。さらに、今年の後半戦はスイングの意識を変えたと語った。

「若い選手がすごく飛ばすので、今年の夏頃までは飛ばそうと思ってトレーニングをしていたけれど、それで方向性が悪くなったら意味がない。だから、そこは葛藤というか折り合いをつけました。この試合も距離が残ってもいいからフェアウェイをキープすること。4日間でドライバーを使ったのは6回だけです。最後のバーディパットを決めた瞬間は頭が真っ白になって、気がついたら叫んでいたし、ボールを投げていました」

今平のフェアウェイキープ率は80%。ほとんどラフにボールを入れなかった。現地でテレビ解説をつとめた佐藤信人は、
「距離が残ってもいいからラフに入れない作戦が功を奏したと思います。ラフだけを見ると、すごく難しいコースコンディションに思うかもしれませんが、今年の東京ゴルフ倶楽部はグリーンがやわらかい。ロングアイアンやユーティリティで打ってもグリーンで止まります。フェアウェイも決して狭くないので、レイアップすればフェアウェイをキープするのはそれほど難しくはありませんでした」

佐藤信人

さとう・のぶひと 1970年生まれ。高校卒業後に米国に渡り、日本に帰国後のプロテストに合格。日本ツアーでは国内メジャーを含む9勝をマーク。最近はゴルフ競技のテレビ解説者としても活躍。

「日本オープンなのにグリーンは柔らかくて、フェアウェイは広い。だからラフが長かった」
佐藤信人

「最終日のグリーンコンパクションは21.5。23とか24のときもありましたから、日本オープンとしてはかなりやわらかいセッティング。長い距離からでもグリーンにボールが止まるのでショットメーカーに有利でした」

木下稜介

「全英オープンで通用しなかったことで、スイングを変えました」
木下稜介

今平が20メートルのバーディパットを沈めたときの大歓声は、2打目地点にいた木下にもしっかり聞こえていた。
「バーディだったのはわかったので、ここからバーディをとるしかないと思っていましたが、少しヒッカケてしまって、良いショットにはなりませんでした。最後のショットをピンに絡めたかったです」

木下の2打目はカラーと深いラフの境界で止まった。アプローチでチップインバーディを狙ったがオーバーしてパーフィニッシュ。
「アンダーパーで終われたことは良かったですが、コースはすごく難しかった。でも、こういう難しいセッティングの方が自分には向いている。来年はリベンジしたいです」

最終日の木下を近くで見続けた田中秀道は、
「私もドローヒッターだったので、ドローヒッターがフェードボールを打つ難しさはわかっているのですが、この短期間でフェードボールを自分のものにしてコントロールしていることに驚きました。それと、日本オープンの舞台で、前の組(今平周吾)の歓声が聞こえている状況でもすごく冷静にプレーしていました。メンタルも強くなったと感心していました」

想定を超えるラフと戦いながら、アンダーパーで回ったのは4アンダーの今平周吾と3アンダーの木下陵介だけ。難しいラフとお互いの歓声が聞こえる距離が、2人のゴルフを高め合っていた。

田中秀道

たなか・ひでみち 1971年生まれ。日本ツアーでは「日本オープン」優勝を含む10勝をマーク。2002年以降、米国ツアーにも挑戦。現在はツアーの解説者としても活躍。

「生粋のドローヒッターが今年の夏から完全なフェードヒッターに変わっていた」
田中秀道

「試合がはじまる前はもっとスコアが伸びる試合になるかなと思いましたが、やはりラフが難しくて、ピンポジションも厳しかったのでロースコアの優勝争いになったと思います」

木下稜介

メジャータイトルと7年連続優勝にこだわっていた。
木下稜介

「日本オープンに勝てたことはもちろんうれしいですが、初優勝から6年連続で優勝しているので、7年連続優勝にもこだわっていました。地元開催で色んな人が応援に来てくれたので声援も力になりました」