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「日本女子プロ」の舞台、大洗GCは井上誠一が「夢の園」と評した土地だった!
先週の国内メジャー「ソニー日本女子プロ選手権」の舞台は、茨城県の大洗ゴルフ倶楽部だった。女子ツアーのトーナメントは初開催となった名門コースは、設計家の故井上誠一氏が「夢の園」と絶賛した土地に造られた歴史があった。
鉄道からたまたま見えた車窓に「ここは『夢の園』だ」 そこが後の大洗GCに
戦後間もない頃、井上氏は現在の大洗GCの敷地を通っていた鉄道に乗っていて、そこから目に入った車窓に目を奪われたそうです。
太平洋岸の防風、防砂林として広がる松林と適度な傾斜。その景色に「ここにゴルフ場を造れたらどれだけ素晴らしいことか。ここは『夢の園』」と思ったのだそうです。
その数年後、夏は海水浴客で賑わうものの、それ以外の時期の活性化。さらに戦後の混乱で整備が十分ではなかった松林の自然環境保全のためにゴルフ場を造ろうということになりました。
設計を依頼された井上誠一氏が現地を訪れると、そこはあの「夢の園」だった
コース設計の依頼を受けたのは井上誠一氏。その土地に案内されてみると、そこは偶然にもかつて「夢の園」と思った場所でした。
コースを造るにあたっては、元々の地形が極力残されました。ほとんどのホールは海岸線と平行に配置され、バンカーもわずか30個ほどしかありません。池も元の松林にはなかったから、との理由で1953年の開場当初はひとつもなかったそうです。
ですが、これは夏に水不足となった際に散水する水を確保するため、という理由で3か所が新たに造られました。
当時は珍しい1グリーンは、高麗とベントが半々で機能的には2グリーンだった。
歴史のあるコースというと、高麗とベント芝の2グリーンになっているケースが多いです。それが大洗GCは70年超前からグリーンは各ホールにひとつしかありません。
とはいえ当時のベント芝では日本の夏の気候に耐えられません。そこでひとつのグリーンの手前は高麗。奥はベントとすることで機能的にはふたつのグリーンがあるのと同じになりました。大洗GCのグリーンは全体的に奥行きが長いのはこのためです。
太平洋に浮かんだ島に打っていくホールも
大洗GCで特異といえるのは16番パー3。
海に向かう方向に横長のグリーンがあるホールは、後方の松が現在ほど高くなかった開場当初は、太平洋に浮かんだ島に打ってくかのような景観だったそうです。
「逆転の大洗」 ジャンボ尾崎も逆転し、逆転された
井上氏の熱い思いが込められた美しいコースも、プロの試合となると首位で最終日を迎えた選手がリードを守り切れない、という特徴があります。
プロのトーナメントは先週の「日本女子プロ」で14回目の開催。
過去は全て男子の大会でしたが、首位で最終日に臨んだ選手が優勝したのは男子ツアー「ダイヤモンドカップ」2004年大会の平塚哲二と2013年の松山英樹ぐらいしかいません。
1996年の尾崎将司は最終日を64で回って8打差の18位から大逆転で優勝していますが、その3年前には1打差の首位でスタートした最終日に1イーグル、2バーディと6ボギーの74を叩いて5打差の5位に終わる屈辱を味わいました。
「日本女子プロ」も1打差の3位からスタートした金澤志奈が桑木志帆と佐藤心結を逆転して優勝しました。
リードを守ろうとすると途端に難しくなる、というジンクスが健在だったのは「パターが後半打てなくなってきた」という桑木や「練習から少し硬さを感じていて、朝から自信を持ってショットが打てなかった」という佐藤のコメントに表れているようです。
「日本女子プロ」最終日の平均スコアは74超!
6710ヤードのレギュラーティーからのコースレートは72.9。
それより少し長い6840ヤードの設定だった「日本女子プロ」の最終日の平均スコアは74.0156でした(いずれもパー72)。
予約にはメンバーの紹介が必要ですが、もしプレーする機会に恵まれたら井上氏の「夢の園」に対する熱い思いや、トッププロも苦しめられたコースを存分に味わうようにしたいものです。
(取材・文・写真/森伊知郎)
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