ゴルファーは空を見上げる
ロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が現場で感じたゴルフエッセイ【毒ゴルフ・薬ゴルフ】第16回
ゴルフの虜になってもうすぐ半世紀。年間試打ラウンド数は50回。四六時中ゴルフのことばかりを考えてしまうロマン派ゴルフ作家・篠原嗣典が、コースや色々な現場で見聞きし、感じたことを書いたのが【毒ゴルフ・薬ゴルフ】です。大量に飲めば死んでしまう毒も、少量なら薬になることは、ゴルフにも通じるのです。
撮影/篠原嗣典
ゴルフコースの空は季節でも場所でも違う!
「空が高いですね」
という常套句は、夏から秋になった空を見上げたときに、主に使われます。
都会で見上げるビルに囲まれた多角形な空でも、ゴルフコースでも、空の高さは季節でかなり違います。
もちろん、空が地表から離れたり、近づいたりはしないので、科学的な説明としては、空気中の水蒸気量が変わって、澄んでいると遠くまで見えるので高く見えて、逆に霞んでいると低く見えるのです。
21世紀になって、ゴルフコースの季節の移ろいを記録したくて、コース画像を撮ることが習慣になりました。
約20年間で、30万枚以上になりました。
肉眼でしか見られない形式もありますが、レンズを通して初めてわかる景色もあります。
ゴルフコースの空は、ゴルファーの心情も反映されがちなのですが、レンズを通すと、ときに、無情で、無機質になった空が写っていて、ドキッとしたりすることがあります。
何とも皮肉なのですけれど、青空の青さや奥深さは冬ほど際立つのです。
コースの緑が美しくなる季節には、地表の生物にエネルギーを吸い取られたように青空は白っぽく、薄くなってしまうのです。
もちろん、2022年のテクノロジーで、青空を美しく見せる加工は簡単にできますが、見る人が見れば、それは虚偽の気味が悪いシーンに感じてしまうのです。
空は多弁です。
ゴルフのたびに、誰でも空を見上げることが何度もあるものです。
お天気を確認する目的のときもありますし、高弾道なボールを追って見上げるときもあります。
春から夏になっていく季節の中で、低い雲で覆われた空を見ることもあると思います。
でも、印象に残るのは、青空なはずです。それは、知らない間に、低く見えるようになった青空なのです。空の低さとギラギラし始めた太陽がリンクする青空は、夏が来たことをゴルファーに教える照明装置だからです。
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今、ゴルフなんてしている場合なのか?
ウクライナの戦争は、人類に衝撃を与えました。
21世紀になっても、前世紀と同じハウツーで、弱肉強食という現実を行使できるなんて、新型コロナウィルスと同様に小説の中だけの夢物語なのだと信じていたからです。
脳天気にゴルフのことばかり書いていて、君の心は痛まないのか? と質問をされることがあります。
今はゴルフをする気分になれません、ということで、ゴルフの予定をキャンセルしてきた知人もいます。
みんなで同じ方向に、同じように、右へ習えするように強制するのは、独裁者の土俵に上がって、同じことをしようとする危険があるので無視するしかありませんが、僕も衝撃を受けましたし、憤りも感じていますし、朧気になってしまう正義の危うさに戸惑っています。
だからこそです。
ゴルフを書いたり、ゴルフをする以外に、今の僕に何が出来ますか?
と問い返したいのです。
心の痛みを確認した人も、ゴルフを自粛した人も、ウクライナに行ってはいないですし、僕が知る範囲で、ほぼ日常を繰り返しながら、ただ戸惑っていることを隠さずに生きているだけです。
行動に移している人々は尊敬しますが、それはごく一部どころか、ほぼ皆無です。こういうときに、何が出来るかを人類は知らないのです。
侵略するサイドは、それを知り尽くして、侵略を決断したのだと思います。
毎週、ゴルフコースに行っています。
あれ以来、僕はスタート前に、毎回、北東の空を見上げて思うのです。
「この空は、あの場所に繋がっている……」
そして、祈ります。
早く悲劇が終わってください、と。
ここには書けないような酷い報復が独裁者たちを襲って、スッキリしたいと願うこともあります。すぐに、誰に向かって変わらないけれど、謝ったりもしています。
ゴルフをするために、この惑星に生まれてきたのだと自覚したのは10代でした。
それを1ミリも疑わないまま57歳の誕生日を迎えました。
僕のゴルフを妨害する全てのものは、僕の中では、単純に“悪”です。
悪に負けるわけにいかない、と空に祈りながら強く誓うのです。
そのようにして気合いが入った状態で放ったドライバーショットは、今のところ、ほぼナイスショットです。
今こそ、空を見上げてからゴルフをしよう!
個人的には、ゴルフで現実逃避するという考え方は大嫌いで、ゴルフを冒涜していると激怒したこともありますが、ゴルフが究極の遊びだといわれる要素の中には、非現実的な世界観に浸れる面白さが外せないのも事実です。
「ゴルフは、何の得にもならない時間の無駄遣いだ」
ゴルフをしてみようと研究した上で、このような結論に到達して、ゴルフをしなかった知り合いがいます。とても頭の良い人で、尊敬していました。
僕は、このセリフを聞いたときに、実は、ガッツポーズするぐらい嬉しかったのです。
ゴルフは、何の得にもならない。その通りなのです。
強いていえば、自らの名誉のためだけに、ゴルファーはゴルフをしているのです。
面倒臭い概念的なことではなく、単純に楽しいからゴルフをしている、という人もいます。つまりは、遊びたいから遊んでいるという理屈です。
これは、同じことなのです。行き着くとことは、何も得をしていない、のです。
世の中には、たくさんの“まさか”があります、と書くと、結婚式のスピーチのようですが、とにかく、思い通りにならない喜怒哀楽が転がっているのが僕らの生活です。
人々は競って賢くなって、いつの間にか周囲より少しでも幸せであることを願って生きています。
全ての行動は、利益のためでなければ無駄に思えてきて、正義すら儲けの前では無意味になっているのが、現代の僕らがいる世界です。
ゴルフは、利益にはなりません。触れないことが、唯一の利益です。
でも、人はゴルフに触れると、毒されるように夢中になっていきます。わかっちゃいるのに、やめられないのです。
神様のような巨大な意思を持った何かが、愚かな人類を目覚めさせるために、汚れを浄化する装置として、この世界にゴルフを落とした、という物語を想像せずにはいられません。
何の得にならないことに胸を張って、ゴルフコースで空を見上げてみましょう。
街中で、空を見上げていたら、奇異な目で見られるだけではなく、場所によっては警察に通報される世の中です。でも、ゴルフコースでは、誰もそれを咎めません。
地球上では、戦争だけではなく、飢餓や疫病まで、ありとあらゆる悲劇が、見れば見るど、探せば探すだけ起きています。現実は、とてつもない非現実と背中合わせです。
一人の人間が出来ることなど、ほぼ何もありません。
どういう因果かはわかりませんが、僕らの前にゴルフがあることも現実です。
一羽の蝶の羽ばたきが、巡り巡って、地球のどこかで台風になることもあるぐらいです。
祈りながら、ある種の宗教儀式だと考えて、神様に捧げるつもりになってプレーしたゴルフは、誰かの不幸をほんの少し和らげるかもしれません。
そんなことを思いながら、空を見上げつつ、真剣に真面目にゴルフをすることが、巡り巡って……
都合良く、楽観的に考えなければ、こんなクソみたいな世の中で生きていくのは辛すぎます。
一人一人が、世界を思って、ゴルフをしたって良いじゃないか。
見上げた空は、そう囁いてくれるはずです。
春本番のゴルフは、近年、初夏ゴルフになりつつありますが、ハイシーズンは始まっています。
僕は、“悪”に屈しないためにゴルフをしているのです。
篠原嗣典。ロマン派ゴルフ作家。1965年生まれ。東京都文京区生まれ。板橋区在住。中一でコースデビュー、以後、競技ゴルフと命懸けの恋愛に明け暮れる青春を過ごして、ゴルフショップのバイヤー、広告代理店を経て、2000年にメルマガ【Golf Planet】を発行し、ゴルフエッセイストとしてデビュー。試打インプレッションなどでも活躍中。日本ゴルフジャーナリスト協会会員。