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ゴルフも人生も、あるがままですよ

伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」 vol.1

2022/07/06 ゴルフサプリ編集部

中部銀次郎

写真提供/オフィスダイナマイト

新連載、伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」。
「プロより強いアマチュア」と呼ばれた中部銀次郎氏が遺した言葉は、未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。その言葉1つ1つを、皆さんにもお届けしていく。

GOLF TODAY本誌 No.601/68〜69ページより 写真/ゴルフトゥデイ編集部

中部銀次郎さんは日に焼けた笑顔を向けた。

「私はゴルフからたくさんのことを教えてもらいました。ゴルフが私の先生なんです。その先生がいつも言っていたのが、『あるがままを受け入れなさい』ということでした」

日本アマを6回も制した前人未踏の記録は「あるがまま」がもたらしたものなのだろうか。

「ゴルフのルールブックの最初の冒頭にそのことが書かれています。『Play the ball as it lies』、『ボールはあるがままの状態で打ちなさい』と。これがゴルフの原点なのですね。どこにボールがあろうともそれを受け入れてプレーすることなのです」 

中部銀次郎

写真提供/オフィスダイナマイト

中部さんは小学4年生の時にゴルフを始めた。体が弱かったため、健康になるようにと、父・利三郎さんがゴルフを始めさせたのだ。

明治生まれの利三郎さんは捕鯨船団を率いて南氷洋を航海した逞しい男として知られおり、大洋漁業の副社長を務めていた。真っ黒に日焼けして海の匂いがした。
銀次郎さんは、長男の一次郎さん、次男の幸次郎さんに次ぐ三男坊の末っ子。威厳のある父が怖かったけれど、父の匂いが好きだった。

利三郎さんはゴルフ好きだった。一家は山口県の下関に住んでいたが、近くにゴルフ場はなく、関門海峡を渡って、福岡県の門司ゴルフ倶楽部でプレーしていた。
日本オープンと日本プロを制した奇才、戸田藤一郎からゴルフを習い、日本アマにも出場するほどの腕前だった。

初めは父のゴルフについて回るだけだった銀次郎少年。胃痙攣の持病を持つ三男坊に医師が「歩かせたら良くなるかもしれない」と言ったため、父がゴルフ場に連れて行ったのだ。
やがて銀次郎さんもゴルフをしたくなり、見様見真似でボールを打つようになった。父と一緒に同じことができるだけで嬉しかった。

父は銀次郎さんのために子供用に作り直したゴルフクラブを与えた。キャディバッグの中には、ウッドはドライバーとスプーン、アイアンは3番から9番、パターも入っていた。
土曜と日曜はゴルフの日になった。土曜は学校を終えてからゴルフ場の練習場で球を打ち、日曜は父や兄たちとのラウンドになった。
「銀、俯いて歩くな、どんなショットを打っても胸を張って堂々と歩け。それも早足でな」

中部さんの姿勢の良さは子供の頃に父の教えで身についたものだった。テンポ良く早足で歩くのも同様。

ボールはあるがままにプレーせよ

こうしてゴルフを覚えた中部さんがある日、父から強烈に叱られた。

ドライバーショットを曲げて深いラフに入れたときだった。下手くそなショットにふて腐れ、ボールを蹴飛ばしたのだ。それを見ていた父が怒鳴った。
「そんなことをするくらいなら、ゴルフなど辞めてしまえ!」父の怖ろしい形相に銀次郎さんの顔は蒼白となった。
アマの選手だった父はゴルフの大原則「ボールはあるがままにプレーせよ」を遵守していたからだ。

この言葉はゴルフのルールというよりもマナーであり、ゴルフの精神である。ゴルフとはいかなるものかを表す端的な一言である。ボールに触ったら最後、それはもうゴルフとは違うものになってしまう。ゴルフをやるのであれば、「あるがままにプレーせよ」なのである。

この一件以来、中部さんはボールに触ることを良しとしなかった。
これはゴルフが子供の遊びだったものが、競技スポーツとなった瞬間でもある。中部さんにゴルフの心が植え付けられた時でもあった。

中嶋常幸プロが中部さんと試合でプレーしたときのこと。その日は土砂降りの雨だった。カジュアルウォーターが認められ、ボールは水に浸かっていればそうでないところへ動かすことができた。
しかし、中部さんはそのまま打ったという。中嶋は驚いたが、それが中部ゴルフであり、中部さんの強さであると知った。

中部さんはあるとき柔和な笑顔で話したことがある。

ボールを触って動かすことを一度でもすると、ついついやりたくなってしまうんですね。それが人間だからです。だから、私は普段からボールに触らないようにしていました。そうしたら、ナイスショットしてセンターの真ん中に打ったボールが、たとえディボット跡に入っていようが気にならなくなった。
この難しい状況からどうやったら上手く打てるか、それを考えるのが楽しくなった。『嫌だなではなく、面白いな』に変わったわけです。そうしていくうちに精神的に強くなり技術力も上がってくる。
ゴルフは『あるがままに打つ』ことで、自然に上手になっていくのです。

自分の不運を嘆かない。不運を受け入れれば面白さに変わるというわけだ。

だったらショットを曲げてラフに入れても林に入れても、トップして池に入れようが平然としていられる。突風が吹いてグリーンを外しても、バンカーに入って目玉になっても、そこからどうやって挽回するかが楽しくなってくる。
ナイスパットがカップに蹴られても、カップ手前で僅かに止まってしまっても、それがゴルフというものなのだ。しっかりと受け入れて、次を頑張ればいいだけなのだ。

こうしたことは何もゴルフだけではない。勉強でも仕事でも人生においても起きうることだ。一生懸命勉強したのに受験に失敗した。頑張って仕事したのに報われない。
好きな人にふられ、結婚した相手に逃げられることだってある。可愛がっていた子供たちから総スカンを食らうことだってある。
でも、決して嘆かないこと。すべてを『あるがまま』に受け入れてやるべきことを全うしていく。そうすればいつか良いことがやってくる。人生悪いことだけじゃない、いいことだってあるのだ。

中部さんはゴルフで起こったことをすべて受け入れるようになってから強くなった。勝てなかった日本アマに甲南大学時代にようやく勝つことができ、社会人になってからも何度も優勝することができた。中部さんは言っていた。

ゴルフでは悲しいことも嬉しいことも、すべて心の中に受け入れることです。一打一打に一喜一憂しても仕方がない。
プレーはどんどん進行していきます。ですから、どんなことでも起きると覚悟して、淡々とプレーすることです。

たとえ信じられないようなことが起きたとしても、一度グッと心の中にしまい込んで、平然と次のプレーを行うことなのである。何が起きても心を平穏に保つ。
心に波風は立てない。穏やかな気持ちで次のショットを行うことなのだ。ゴルフでは起きうるすべてのことを「あるがまま」に受け入れることが大切なのである。

ゴルフも人生もあるがままですよ

ゴルフ

イラスト・北村公司

中部さんは競技生活から離れて12年目となる1999年3月に食道癌となった。5月に10時間以上に及ぶ除去術を順天堂大学病院で受けた。
その前年に「胸がざわざわする」と言っていたが、それが癌の予兆であったのかもしれない。6月になって退院できたが、入院中はシャフトの短いクラブを手に入れ、素振りを行っていた。

退院してからもこれまで通り、今は無き新橋の小料理屋「独楽」に通っていた。周囲に癌であることを告白し、酒を飲み、タバコを吸っていた。
手術する前と何ら変わらない生活を送っていたが、その間に新たな癌が見つかったり、気胸を患ったりして3年足らずの間に7回もの入退院を繰り返した。
退院しては「独楽」に顔を出した。店の主人が「タバコだけはやめなさいよ」と忠告すると、中部さんは笑って答えた。

「ゴルフも人生もあるがままですよ」

小学4年生のとき、父の利三郎さんから教わった「あるがままにプレーせよ」をゴルフでも人生においても全うした。
2001年12月14日午後4時過ぎ、中部さんは59歳の短くも濃い人生の幕を降ろした。あれから20年が過ぎたが、中部さんがゴルフから学んだ事柄は、今も多くのゴルファーに息づいている。

中部銀次郎(なかべ・ぎんじろう)

1942年1月16日、山口県下関生まれ。
2001年12月14日逝去。大洋漁業(現・マルハニチロ)の副社長兼林兼産業社長を務めた中部利三郎の三男(四人兄弟の末っ子)として生まれる。10歳のときに父の手ほどきでゴルフを始め、下関西高校2年生時に関西学生選手権を大学生に混じって出場、優勝を遂げて一躍有名となる。甲南大学2年時の1962年に日本アマチュア選手権に初優勝を果たす。以来、64、66、67、74、78年と計6度の優勝を成し遂げた。
未だに破られていない前人未踏の大記録である。67年には当時のプロトーナメントであった西日本オープンで並み居るプロを退けて優勝、「プロより強いアマチュア」と呼ばれた。59歳で亡くなるまで東京ゴルフ倶楽部ハンデ+1。遺した言葉は未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。

著者・本條 強(ほんじょう・つよし)

1956年7月12日、東京生まれ。武蔵丘短期大学客員教授。『書斎のゴルフ』元編集長。
著書に『中部銀次郎 ゴルフ珠玉の言霊』『中部銀次郎 ゴルフの要諦』『中部銀次郎 ゴルフ 心のゲームを制する思考』(いずれも日本経済新聞出版編集部)他、多数。

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