ショットの調子は上々、不安要素はパッティングだけだった

――肉体だけでなく、スイングも改造して、「今年はいける」という気持ちで2022年シーズンに臨んだと思いますが、序盤はなかなか結果が出なかったですね。

セキ そうなんです。ドライバーやアイアンの調子は良かったのに、パッティングが全然ダメで。一番ひどいときには30センチぐらいの距離でも手が動いてくれなくなりました。

――それはパターイップスというやつですね。原因に心当たりは?

セキ ファイナルQTの最終日、少しでも順位を上げなければというプレッシャーから手も体も震えて動かなくなったんです。その場はなんとか凌いだんですが、それ以降、パッティングの構えに入るとそのときのことを思い出してしまって。おそらくその影響が、シーズンに入ってからも出てしまったと思います。

――もともとパターは得意だったんですか?

セキ 自分では得意だと思っています。パッティング練習は好きだし、それなりに自信もありました。人に聞いた話では、得意な人ほどイップスになりやすいそうです。

――どのように克服されたんですか?

セキ 最初のうちは早く直したいと焦ったのですが、メンタルのコーチのアドバイスもあって、少しずつでも前に進んでいくことを考えました。例えば今日は20回余計なパットをしてしまったけど、明日は18回、次の日は16回というように少しずつでも回数が減っていけばいいかなと。それと、うまくいったパッティングだけをメモしておいて、そのストロークを思い出すようにしました。

――思い通りにいかなかったプレーは忘れるようにしたわけですね。

セキ そうですね。いいプレーだけを思い出せば、自分が上手くなったように感じますからね(笑)。実際にラウンドでパッティングをするときも、良かったプレーを思い出しながらやりました。

――やはり気持ちの問題なんですね。

セキ そうみたいです。そして克服するためには、逃げていてはダメみたい。コーチからも、「現実を直視して、少しずつ改善していこう」といわれたので、イップスと真剣に向き合いました。

――克服するのにどれくらい時間がかかったんですか?

セキ 2カ月くらいですね。「早く直って良かったね」と思われるかもしれませんが、シーズン中ということもあったので、私にとってはとても長くて辛かったです。しかもショットの調子が良かっただけに、本当に悔しかったです。

――その2カ月間は、パッティング練習ばかりしていたのですか?

セキ いえいえ、いつものようにショットの練習もいっぱいしました。ショットの調子を落とさないようにして、「イップスが直れば、すぐに優勝争いをするぞ」という気持ちで練習をしていました。

――常に前向きな気持ちを忘れずに、ということですね。

セキ それが良かったのかもしれません。

――パターイップスを克服したことで、メンタル力もアップしたのでは?

セキ そう思います。パッティングだけでなく、ショットでも悪いプレーは全部忘れるようにして、いいプレーだけを頭のメモリーに記録する。そういう作業を続けていると、いつもいいイメージでプレーができ、ミスもそれほど気にならなくなりました。

――「ゴルフ5レディス」の最終日も出入りの激しいゴルフでしたが、常にいいイメージを持ってプレーされていたんですね。14番でボギー、15番でOBを打ってダブルボギーになったときは、見ているこちらのほうがドキドキしましたけど。

セキ もちろん、ミスをした瞬間は「やっちゃった」って思いましたよ(笑)。でもすぐに気持ちを切り替えることができました。

――そして16、17番では連続バーディー。プレーオフ1ホール目でもOBを打ちましたがそのホールをボギーで切り抜け、2ホール目は見事にバーディーで激戦を制しました。

セキ 本当に気持ちの切り替えが上手くいったと思います。以前だったら、ガタガタと崩れていたでしょうね。

――その精神力は今後の試合にも生きてきそうですね。

セキ 「あの苦しみを乗り越えられたのだから」という思いはありますね。優勝争いのプレッシャーは、「それほど大変なことじゃない」とまではいいませんが(笑)、今ではどんなときでも自分のプレーができそうな気がします。そういう意味でもパターイップスを経験して、本当に良かったと思っています。

――この度はありがとうございました。今後の活躍にも期待しています。

セキ こちらこそありがとうございました!これからも応援よろしくお願いします。

セキ ユウティン 特別インタビューVol.1/2「飛距離アップ編」

真鍋雅彦氏

1957年、大阪生まれ。日本大学芸術学部卒業後、ベースボール・マガジン社に入社。
1986年に退社し、フリーライターとしてナンバー、週刊ベースボール、ラグビーマガジン、近代柔道などで執筆。

ゴルフは、1986年からALBAのライターとして制作に関わり、その後、週刊パーゴルフ、週刊ゴルフダイジェストなどでも執筆。現在はゴルフ雑誌、新聞などで記事を執筆するほか、ゴルフ書籍の制作にも携わっている。