24時間ゴルフTVを実現! アーノルド・パーマーはゴルフメディアのイノベーター

アーノルド・パーマーの数々のレガシーは、次世代に継承され世界的なゴルフ人気へとつながった。中でもゴルフメディアへの貢献はとても大きい。今では「24時間ゴルフ視聴」は当たり前だが、30年前は驚きの着想。パーマーは映像、情報がゴルフ繁栄の起爆剤になるとゴルフチャンネル開局へ動きだした。

パーマーが構想を発表した会見は、実に質素でアットホームだった。93年2月10日カリフォルニア州パームスプリングス開催のPGAツアー開幕直前に、プレスルームから少し離れた小さな特設テントで行われた。出席したのは約20人で欧米記者、大先輩の岩田禎夫さんと僕と妻のみでTVカメラもなかった。パーマーは目を輝かせ、ケーブルTVでの24時間ゴルフ専門局の構想や意義をジョークを交え熱く語りはじめた。

ひとつの競技に特化というのは初の試み。「ゴルフの世界的繁栄に挑戦する」。「欧州、豪州、南アの試合中継、レッスン、ニュース、インタビューなど盛りだくさんの番組で寝ている暇はなくなるよ!」など和やかな雰囲気、気づけば1時間半が過ぎていた。パーマーは最後、ただ一人の女性だった僕の妻を傍らに呼び「貴女も番組に出ますか?」と頬にキス! というオチ(?)もあった(僕は緊張と笑)。

が、開局までゴルフ界のキングであるパーマーでも水面下で奔走するほど大変な道のりだった。この件はパーマーの個人マネジメントから大組織へ成長したIMG社が深く関与。当時、欧州ツアーが勢力拡大、IMGは世界のツアーや他競技でも絶大な影響力を持っていた。一方PGAツアーは枠組みを発展させ、世界ツアーの構想を抱きはじめ戦略上の交錯があった。

予定より1年遅れの95年1月に放送がスタート! 24時間ゴルフの中継、番組が見られる夢の実現に僕も感無量、心からパーマーに感謝した。

振り返れば、パーマーの活躍とTV中継は相乗効果だったといえる。1960全米オープンでの大逆転優勝は中継を通じ全米が熱狂。パー4で1オンを狙い、リスクを背負いながらピンを果敢に攻めるプレーは“チャージ”と言われ大ギャラリーは興奮のるつぼと化した。

ヘリコプターフィニッシュとも呼ばれた個性的スイング、楽しいコメント、笑顔も人気に拍車をかけ視聴率は急上昇。新ゴルフブーム到来で選手の意識も高まり、大会スポンサーも次々出現。パーマーはメディアの影響の大きさを体感してきたからこそ、他のスポーツに先がけ専門局誕生に尽力。開局から間もなく30年、制作された貴重映像のライブラリーはパーマーからの贈り物だ。

インタビューはいつも和やかで楽しく、恐縮するほど気遣いの人だった。何を着ても似合うジェントルマンもなぜか靴下嫌いでプレー以外は裸足にローファーだった!

Arnold Palmer(アーノルド・パーマー)/プロゴルファー

1929年ペンシルべニア州生まれ。9月に生まれ87歳の9月(2016年)に他界。クラブプロの父ディーコンの影響で7歳で初ゴルフ。ウェイクフォレスト大学へ進学も、親友の事故死で衝撃を受け中退し海兵隊へ。プロ転向は25歳と少し遅かった。1955年よりPGAツアーに参加し62勝、メジャー7勝、世界で95勝。トップ10はアマ時代から29年間で245回とトッププロであり続けた。74年に世界殿堂入り、創設メンバーでもあった。

●文/佐渡充高
さど・みつたか
上智大学法学部卒業。1985年に渡米し、USPGAツアーを中心に世界のゴルフを取材。2022年まで32年間NHKゴルフ解説者。2023年からBS放送局『BSJapanext』にて「大正製薬 Presents PGA TOUR TV Program PGA ツアー」の解説者に。※2024年からは「フォーラムエイト Presents PGA TOUR TV Program PGA ツアー」。


【佐渡充高のプレミアム・ファイル】
←タイガーとの契約解消後もご近所さんで親友関係が続いているショーン・フォーリーという男

前回へ

シリーズ一覧へ