仙塩ゴルフ倶楽部 浦霞コース|隠れた宝石 ― 倭奴國編― 第壱回
行ってみたい! 時空のゴルフ旅
新しい旅が始まる。いわゆる名門コースとか、ビッグトーナメントを開催したとかいうコースではなく、気軽に行けてプレーできて、なんとも言えない味わいがあるコースを見つけて訪ねる。まだまだあります!「隠れた宝石」のようなカントリー倶楽部が。今回は仙塩ゴルフ倶楽部 浦霞コースをご紹介します。
GOLF TODAY本誌 No.591 14〜17ページより
奥の細道で出会ったノスタルジックなクラブハウス
仙塩ゴルフ倶楽部浦霞コースは、あまり知られていない。それは大きな大会の開催したこともないし、いわゆる「名門」という枠組みの中に入っていないし、しかも9ホールのコースだからである。
それでも、仙塩に行ってみたいと思ったのは、東北地方で最古のコースであり、もちろん手作り感満載で、しかも銘酒「浦霞」という名前に惹かれたからでもある。
さらに言えば、昔からこのコースをゴルフ通たちは「池のない廣野」とも呼ばれていたからだ。
いつだったか、東北のトップアマチュアの大友富雄さんに「仙塩のコースは、どんなですか?」と聞いたことがある。
「とても面白いですよ。赤星四郎さんの設計で、実によくできています。三田村さん、ぜひ行ってみてくださいな。あ、行くんだったら、僕を誘ってください」と言われたことがある。大友さんは、1985年日本アマで2位タイ。2007年東北ミッドアマ優勝、2015年日本シニアアマ2位タイなどの成績を収めている選手である。
でも、そんな名プレーヤーと一緒に回るのが気が引けて、なかなか行く機会をつくれなかった。
心に小骨が引っかかっているかのように、ずっと気掛かりでいた仙塩に行こうと決心したのは、ゴルフカメラマンの細田榮久さんとのゴルフ談義の中で「行きたいなぁ。いや行きましょう」と背中を押してくれたからだ。
僕たちは、松尾芭蕉が「おくの細道」を綴った出発地点の深川近くから車で出発した。東北自動車道を一路、4時間半ほどで利府中インターチェンジまでまっしぐらだった。
仙塩とは、仙台と塩釜を表し、コースの先には塩釜港があって、かつてはコースからも見渡せていたという。いまではコースの回りをぐるりと取り囲むように住宅地で詰まっていて、その主要道路沿いに、見過ごしてしまいそうな看板が見える。
「ここだね」と細田さんが言って車で入っていった。
「ワーオ」と僕は、叫んでしまった。そのクラブハウスと周辺の佇まいに、ノスタルジックな感情が溢れたからである。
仙塩ゴルフ倶楽部のクラブハウスは、1952年に新しくできあがった。とわいえ、いまから59年前のことだ。それまでは、米軍のバラックのかまぼこ型兵舎を利用していた。それが現在のハウスの左側に残っている。その佇まいに僕は、息を呑んだ。豪華さはなくむしろ清楚。日本的ではなくむしろ欧米風。煉瓦色の瓦に白壁、そして薄緑色の木製の縁取りが、往時のハイカラを匂わせる。
タイムスリップした気分になった。近年の日本のコースは、豪華さを鼓舞しすぎている気がする。
なぜか山小屋の別荘のような気分になる。近隣の住民たちが、ぶらりとやってきて、気軽にラウンドを楽しみ、ゴルフ談義に花を咲かせるという感じだ。
このコースの歴史は、1930年に発足した仙臺ゴルフ倶楽部に遡る。6ホールのコースだった。その後、仙臺カントリー倶楽部の組織ができ、初代キャプテンに佐浦菊次郎氏がなった。佐浦は、銘酒浦霞の醸造元、株式会社佐浦の代表だった。最終的に18ホールの本格構想があった。設計は、赤星四郎に依頼した。その後、コースは戦争という悲劇に見舞われて、一時は日本軍にすべてを接収されようとしていた。終戦となり、存続も危ぶまれたコースは、逆に、米軍空挺部隊が進駐したことで変化した。レクリエーションとしてのゴルフが重視されて存続したのだ。面白いことに、仙塩は、米軍駐留とインバウンドという立ち位置で新たに蘇り仙塩ゴルフ倶楽部となったのだ。キャディバッグをカートに積み、重機のない時代の手造りのフェアウェイを歩く。フェアウェイの起伏は、川奈ホテル大島コースや鳴尾ゴルフ倶楽部、大阪ゴルフクラブの雰囲気だし、グリーンも小さく、たしかに戦略的にも起伏のスタンスや球筋も楽はさせてくれない。
9ホールでも充足感があった。思えば、月日は百代の過客にして行きかう年もまた旅人なりという芭蕉の書き出しを思い浮かべた。仙塩の長い歴史。フェアウェイを一歩一歩あるくと、時間軸が旅人だという言葉を噛みしめることができた。
コースデータ
プレーは9ホールを2回ラウンドするスタイルのコースとなっている。
◦仙塩ゴルフ倶楽部 浦霞コース
◦所在地/宮城県塩竈市 庚申塚一番地
◦開場/昭和10年10月1日
◦設計/赤星四郎
◦概要/9ホール、パー36
2889ヤード ベント2グリーン
◦アクセス/三陸自動車道・利府中ICより2 ㎞
三田村昌鳳
1949年2月24日神奈川県逗子市に生まれ。立正大学仏教学部を経て、週刊アサヒゴルフ副編集長ののち、1977年に独立。著書に「タイガー・ウッズ伝説の序章」「伝説創生」など。2011年に「ブッダに学ぶゴルフの道」(中央公論新社)を発売。日本プロゴルフ殿堂表彰選考委員、オフィシャルライター。日本ゴルフ協会オフィシャルライター。日蓮宗の僧侶。
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