日本のゴルフ120年『過去・現在・未来』日本のゴルフの始まりから、2020東京五輪ゴルフまで
ゴルフトゥデイ創刊30周年特別企画
2001年~未来
2007年ハニカミ王子・石川遼 15歳245日でツアー優勝!
世界では、タイガー・ウッズが、1995年にアマチュアとしてマスターズに初出場。そしてプロ転向。いきなり2勝をあげ、1997年には史上最年少の21歳3ヶ月でマスターズ初優勝。わずか10ヶ月あまりでマスターズを含む7勝。世界ランキング1位という輝きを見せた。タイガーの出現が、世界を変えたといえる。
そして、日本でもタイガーに憧れるジュニアたちが急増し、そのひとり石川遼も、2007年、15歳245日でアマチュア選手としてマンシングウェアオープンKBSカップに優勝する衝撃的なデビューを飾った。
タイガーは「僕の最大の武器は、精神だと思うんです。そして僕の最大の財産は、コースで自分自身のことを考えられることです。そして出る試合は、常に優勝を狙っています」と言い放った。この21世紀のヒーローは、伝説をつくり時代を牽引し、アスリートゴルファーという言葉を定着させた。
石川遼の出現も、日本のゴルフ界を大きく変えた。スター性のある若手選手ということだけでなく、宮里藍と同じくジュニアゴルファーに大いに刺激を与えたのである。
石川は、2008年プロ転向後、その年の11月にマイナビABCで優勝した。
「(18ホールを戦っている)途中で、何度か誰か助けて欲しいと心の中で叫びたくなるほど、苦しかったけれど、最後に必ずいいことがあると思ってプレーして頑張った。これまでゴルフの難しさとか、気持ちのコントロールにすごく苦しんできたけれど。僕はまだまだ本当のつらさを知らないと思う。これからなんです」と初々しいコメント。石川のコメントの素晴らしさはゴルフ界だけではなく幅広く注目された。
渋野日向子の全英女子オープン、松山英樹のマスターズと日本人が相次いでメジャーで優勝飾る
日本人選手のメジャー優勝は、1977年全米女子プロゴルフ選手権優勝の樋口久子が初めてのことである。
そして女子では、2位が4人いる。1987年全米女子オープン、1989、91年全米女子プロで岡本綾子がいずれも2位。宮里美香が、2012年全米女子プロで2位。畑岡奈紗が、2018年全米女子プロ、2021年全米女子オープンで2位となっている。
2019年。渋野日向子が全英女子オープンで優勝したのは、女子では樋口以来42年ぶりの快挙となった。初遠征、初出場のシンデレラストーリーとなった。
本人は、純粋無垢にゲームを楽しんだという感覚があった。メジャータイトルに勝ちたい、欲しいというプレッシャーはほとんどなかったのだと思う。優勝して、ヒシヒシとその重みを実感してきたというのが本音だったと思う。
その後、笹生優花が全米女子オープンで畑岡奈紗とプレーオフの末に見事初優勝した(この時点での笹生の国籍は日本とフィリピンの両国籍)。
そして2021年には、松山英樹が念願のマスターズに優勝する。
2011年マスターズで、松山英樹がローアマとなって表彰式に立った。それから松山のマスターズに対する情熱がより高くなった。そして10年間、いい結果はでなかった。でも「あの10年前がなければ、いまの僕はなかったと思う。この10年が、僕にとって短かったか長かったかわかりませんけれど……」と語った。
マスターズに日本人選手が初挑戦したのは、1936年第3回大会の戸田藤一郎、陳清水である。それ以来、その時代時代の名手たちが挑戦していった。松山がマスターズに優勝するまで33人の日本人選手が挑戦してきた。そして延べ132度の挑戦で初めてグリーンジャケットに袖を通すことができたのである。もちろん松山英樹は、オーガスタナショナルゴルフクラブの名誉メンバーとなる。
PGM・アコーディアといった大資本によるゴルフ場の統廃合が加速
バブル崩壊後、ゴルフコースも負の遺産として混迷する時代が、あった。大手ゴルフ場グループも倒産、あるいは民事再生、単体のゴルフ場もその波に襲われていた。
外資系のアコーディアやPGMといった企業が、ゴルフ場運営に関わるようになってきて、ゴルフ場の統廃合が加速した。
当初は、外資にゴルフ場が乗っ取られるというように敵視されていた風潮も、いまとなっては、グループ運営・経営なくして生きながらえることはできなかったという評価にも変わってきている。
ある意味、ゴルフ場経営・運営の合理化が求められる時期でもあったはずだ。バブル崩壊までのゴルフ場の姿勢は、営業しなくても客(ゴルファー)はやってくる時代。社用・接待ゴルフで潤っていた時代だった。
ところが入場者が激減し、いざ営業努力といっても、グリーンフィの値下げしか浮かばない状況だった。そんな中、外資の徹底した合理化を利用しやすい仕組みが、結果的に外資系企業による買収につながったといえる。単体で健全な経営ができるのは、ごく一部の名門コースに限定された。しかし、名門の川奈ホテルゴルフコースも、今ではプリンス系が運営している。
その後、インターネットでの予約システムなどが急増し、ゴルフ場が息を吹き返した。皮肉にも、コロナ禍のリモートワークなどで、どのコースも集客が多いといわれる。
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男子のフジサンケイクラシック、女子フジサンケイレディスを開催実績のある名門コースの川奈ホテル・ゴルフコースだが、今はプリンス系の経営に。
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サントリーオープンを長く開催し、2019年にはPGAツアーのZOZOチャンピオンシップの舞台となった習志野CCは現在はアコーディアゴルフの傘下に。
オリンピックがリオで112年ぶり復活、稲見萌寧が東京で初の銀メダル獲得
世界的な新型コロナウイルスのパンデミックで1年遅れで開催された東京オリンピック。ゴルフは、前回のリオ・オリンピックで112年ぶりに復活し、その2回目である。
近代オリンピックは、1986年に開催。その第2回大会のパリ五輪のときにゴルフも採用された。そして1904年のセントルイス五輪のあと不採用され、リオ五輪での復活となったのである。
コースは、霞ヶ関カンツリー倶楽部で、男女ともに無観客開催となった。
男子では、松山英樹と星野陸也が出場し、松山は惜しくも3位の銅メダルをかけてのプレーオフに敗れた。3位決定戦の7人によるプレーオフ。ローリー・マキロイは「3位になるために、こんなに必死に戦ったことは初めて」という熱戦だった。松山は、直前にコロナを患い、完治のあとの出場で試合勘も体調も万全とはいえなかった。
そして女子の部門では、稲見萌寧と畑岡奈紗が出場。稲見が、銀メダルを獲得した。稲見は、今季絶好調で、その勢いがそのまま五輪でも発揮された。稲見の銀メダル獲得で、さらに女子ツアーが盛り上がっている。
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先の東京オリンピックで日本人初の銀メダルを獲得した稲見萌寧。
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女子の金メダリストは米国のネリー・コルダ。銅メダルは稲見とプレーオフをして敗れたニュージランドのリディア・コー。
未来への提言
「楽しむゴルフ」と「競技ゴルフ」明確な棲み分けが求められる時代に
これからは、ゴルフが「するスポーツ」と「観るスポーツ」の色分けを明快にしないといけないと思う。「するスポーツ」の頂点がプロトーナメントではないという考えである。現在の米ツアーがその方向に進んでいるように、プロのイベントは「観る重視」である。まるで曲芸のような技術のぶつかり合い。コースも、観るだけでわかる奇抜なデザイン。つまり映像や視覚を通してダイナミックにならなければ面白くない。そして一般アマチュアは、自分たちのゴルフを楽しむ。プロは、自分たちができそうもない状況をやってのける風景がみえるというイベントづくりが必要だと思う。
そのためには、かなり極端な改革がなければいけないだろうし、そうあって欲しいと思う。
プロゴルフ界は、もっとグローバル化を加速し、日本ツアーから世界へ向かう階段づくりとシステムが必要になるだろう。
実力を備えたスター選手は、どの時代にも必ず現れるはずだ。その環境設定、舞台設定を改革しないと同じことの繰り返しになる。
女子プロゴルフ協会が、映像を重視し放映権を協会が保持しようとしていることも、そのひとつである。男子とともに、株式会社化してダイナミックな改革が必要になってくるはずだ。
楽しむゴルフ。競技ゴルフ。プロフェッショナルらしさを存分に引き出せるゴルフトーナメントと選手……。そういう棲み分けが必要となってくるはずだ。
文・三田村昌鳳
写真協力・日本プロゴルフ殿堂、神戸ゴルフクラブ70年史、日本プロゴルフ協会70年史、日本ゴルフ協会70年史、JGA GOLF MUSEUM 公式ガイドブック、日本女子プロゴルフ協会50の歩み
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