フィル・ミケルソンの衝撃的な伝記

今春出版されたアラン・シプナック著のフィル・ミケルソン伝記(非公認)の中に「2014年までの4年間にギャンブルで4000万ドル(約52億円)以上を失っていた」と記されている。額面に驚きはしたが彼の収入を考えれば相応の額なのだろう。

ミケルソンのギャンブル好きはPGAツアー入り直後から知られている。独身の頃、母メアリーが心配のあまり「ラスベガス行きはやめなさい!」と厳命、しばらくバカラを封印。が、スポーツベットはエスカレート!居間だけでなく寝室にまでテレビ6台を設置し大好きなNFL(フットボール)中継を同時観戦し勝負の行方を楽しむように。
ゴルフの成功で巨額の収入を得ると再びラスベガスのVIPルームへ出かけるようになった。

勝負に挑み続けるフィル・ミケルソン

僕の記憶に残るギャンブル名勝負は2001年のこと。NFLバルティモア・ラベンズに2万ドルを賭けスーパーボールに勝利!オッズは22対1だった。同年MLBワールドシリーズでアリゾナ・ダイアモンドバックスに4万ドル賭けワールドシリーズ優勝!オッズは15対1などハイリスクの賭けを次々に的中。試合会場でも賭けずにいられず、同年8月NEC招待最終日にコース内で選手仲間にもちかけた。

ミケルソンはホールアウト後にM・ウィア、D・トムズ、S・シンクとテーブルを囲みテレビでウッズとフューリックのプレーオフを見ていた。1ホール目フューリックがバンカーに打ち込んだのを見て「次のショットが入るか賭けよう。僕は入る方に20ドル、倍率は25倍」。ウィアだけが応じ、フューリックが劇的に決め、ミケルソンが500ドルを獲得。が、ツアーは試合会場内での賭け事禁止で2人に罰金が課せられた。
 
03年夏には投手(右投)としてデトロイト・タイガース3Aのトライアウト挑戦前の練習でプロを相手に「ポケットにあった300ドルを出しホームランを放った選手に進呈」などエピソードは多い。
かつて母メアリーから「とても不器用な子だった」と意外な話しを聞いたことがある。あらゆるスポーツに親しみ勉学も高校時代の成績は全米トップクラス。大学生(アマ)でツアー初優勝を飾り、史上最年長50歳でメジャー6勝目、通算45勝。

テクニックも抜群でコンクリートのカート道やギャラリースタンドからアプローチ、急斜面から後方ショットなど天才的スキル、林から上空の極小空間を抜くなど数々の独創ショットに成功!集中力マックス時の獲物を射るような瞳は怖いほどだ。
すべては不器用であるがゆえ、途方もない努力と常識打破の発想と工夫によるもの。30年以上のキャリアをハイレベルで維持する活力と原動力は、ギャンブルという強烈な刺激なのかもしれない。新ツアー挑戦の選択も賭けと冒険と言える。

フィル・ミケルソン氏の華麗なる一族

朗らかでゴルフ好きの父フィルSr.は米海軍の戦闘機パイロットを経て民間機の機長を長く務めた。
母メアリーは老人介護の正看護師として活躍の傍ら01年シニア五輪でバスケットボールの金メダリスト、テコンドー有段者のアスリート。
姉ティナはゴルフインストラクター。弟ティムは大学ゴルフ部ヘッドコーチ時代にJラームをリクルート、現在は兄の専属キャディ。

●文/佐渡充高
さど・みつたか
上智大学法学部卒業。1985年に渡米し、USPGAツアーを中心に世界のゴルフを取材。NHKゴルフ解説者。


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