飛距離に囚われてないですか?伝説のゴルファーが語る、本当の醍醐味とは
伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」 vol.3
新連載、伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」。
「プロより強いアマチュア」と呼ばれた中部銀次郎氏が遺した言葉は、未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。その言葉1つ1つを、皆さんにもお届けしていく。
GOLF TODAY本誌 No.603/68〜69ページより
イラスト/北村公司
心をコントロールし、成すべきことをコントロールする
中部銀次郎さんは煙草を燻らしながら、ゴルフ談義に耽る酒飲みたちを見て微笑む。そして陽に焼けた顔をほころばせて言う。
「みなさんはなぜそれほど、飛ばしにこだわるんでしょうかね」
酒飲みたちが、やれ、誰々が飛ばすだの、誰が最近飛ぶだの、そうした飛距離の話に花を咲かせていたからだ。
「私の頃は、飛距離が話題になることはほとんどなかった。誰がどんな球筋でホールを攻めたとか、技術や戦術の話が多かったです。ゴルフの本当の醍醐味は飛距離ではなく、頭を使ったコース攻略法にありますからね」
上品で穏やかな中部さんは飛ばし話を決して低次元とは言わなかったが、もう少しゴルフの本質に関わる話を酒の肴にしてはどうかと思ったようだ。
「ショットにおいてはまずはボールコントロール。自分が思い描く球をしっかりと打つことが肝心です」
それは、中部さんが子供時代、ドライバーショットで大きなスライスに悩んだことが発端かも知れない。父、利三郎さんからゴルフを習った少年時代の中部さんは父譲りのアウトサイド・インのカット打ちだった。それは利三郎さんが関西の大御所、戸田藤一郎プロから習った「前に上げてぐっと引け」というスイングだったからで、どうしてもクラブが外から下りた。アイアンショットは切れ味鋭いものとなったが、ドライバーショットでは球を擦り、大きく右に曲がってしまったのだ。当時のパーシモンウッドはスイートスポットが狭いため、ボールにスライス回転がかかりやすかった。
中部さんは自分のスイングに問題点があると考え、ゴルフ雑誌や本を見て海外の選手たちのスイングを研究した。その中で目にとまったのがサム・スニードのスムーズなスイングだった。体を回してリズミカルに打つ。それもトップ・オブ・スイングのときに手が頭よりも前に出ないスイングだった。その頃の中部さんのスイングはトップで手が前に出ているものだったのである。
サム・スニードのスイングを見た中部さんは、それを自分のものにしようと猛然と素振りを行った。毎日100回の素振りをすることを自らに命じたのだ。
「スイング作りは球を打ってはできません。上手く球を打とうとしてしまうため、スイングを固めることが疎かになるんですね。スイングを作るなら素振りを行うことです。毎日、100回の素振りを半年間続けたら、それだけでシングルハンデになれますよ」
猛練習が中部さんを成長させたわけではなかった
中部さんは毎日の素振りによって理に叶ったスイングを身につけ、ドライバーショットを安定させていった。中学2年生の時にはハンデキャップは8となったのである。
「それまで大きなスライスを打っていたことで、ボールのスピンというものに興味を抱くようになりました。私は右回転するサイドスピンのボールを打っていたために大きなスライスとなった。これはクラブフェースでボールをカットして擦っていたからです。であれば、なるべく擦らないように真っすぐにボールを打とう。そうなるようなダウンスイングの軌道でクラブを振ろうと考えたのです」
中部さんはただ素振りを繰り返し、猛練習をしたからシングルハンデになったわけではなかった。ミスショットの原因を追求し、それがボールのスピンにあることを知り、それを矯正するスイング軌道を考えたわけである。実に研究熱心な中学生だったが、それはゴルフが教えてくれたことであり、中部さんを成長させたのである。
「ゴルフは小さな真っ白な球を打ちますから、スピンを意識しにくい。ただ、右に飛んだ、左に飛んだという結果ばかりになってしまう。しかし、原因を考えないで闇雲に練習しても上達はしませんよね。フェースが開く、または閉じたことが原因なのか、それともボールを擦ってスピンをかけたことが原因なのか、追求しなくてはいけない。ボールの周囲に線をつけたり、色分けすればすぐにスピンがわかります。どんなスピンがどれほどかかっているのかを知って、対策を講じる。こうすればスピンをコントロールできます。ミスショットを減らすことができるのです」
スピンを知るには、自ら敢えてスピンをかけてみる必要がある。闇雲に真っすぐ打とうとせず、敢えてスライスを打ったり、フックを打ったりすることでスピンを体験し、把握する。そうすれば、スライスのスピン量を抑えて、フェードボールを持ち球にすることもできるのだ。
「バックスピンがかかると、吹き上がりますよね。そんな球は風に弱いし、飛距離も損をしてしまう。なるべくバックスピンがかからないようにして、強く伸びていく球筋を理想として練習していきました」
ゴルフと人生は通じるものがある
中部さんの中弾道の球筋を「ジェット機の飛行機雲のようだ」と表現したのは倉本昌弘プロ。「サーッと真っすぐに伸びていく弾道でした」と付け加えている。アゲンストの風が吹いても距離を落とさないドライバーショットだった。成熟した中部さんのショットはサイドスピンはもちろんのこと、バックスピンもコントロールできていたのである。
「ゴルフはスピンのゲームと言ってもいいです。ナイスショットを求めるのは当たり前ですが、それが常にできるのは、スピンをコントロールできるからです。自分のショットのスピンがどんなもので、どれほどかかっているのかを把握できるように練習する。練習とはスピンコントロールの練習なのです。スピンをコントロールできれば常に安定したショットが打て、スコアも自然とまとまるのです」
さらに、中部さんはこう付け加える。
「スピンをコントロールできれば、心もコントロールできるようになる。
ミスショットの不安がなくなり、心がざわつくこともなくなる。どんなときでも自分を見失わずにプレーできるようになる。焦らず、騒がず、落ち着いてプレーできるようになるのです」
このことは何もゴルフだけではない。実生活でも同様だ。自分が犯したミスの原因を究明して対策を講じる。こうして同じミスをしなくなれば、自分に自信ができる。自分の心をコントロールでき、どんなにプレッシャーがかかる場面でも乗りきることができるようになるのだ。焦らず、騒がず、落ち着いて仕事ができるというわけだ。中部さんは言う。
「ゴルフはミスのあるゲームです。ミスを放置せず、原因を解明して、対処できるようになればショットもスコアも良くなる。ゴルフによって自分を成長させることができる。逆に言えば、ゴルフは自分を成長させてくれる貴重なスポーツだと言えるのです」
中部銀次郎(なかべ・ぎんじろう)
1942年1月16日、山口県下関生まれ。
2001年12月14日逝去。大洋漁業(現・マルハニチロ)の副社長兼林兼産業社長を務めた中部利三郎の三男(四人兄弟の末っ子)として生まれる。10歳のときに父の手ほどきでゴルフを始め、下関西高校2年生時に関西学生選手権を大学生に混じって出場、優勝を遂げて一躍有名となる。
甲南大学2年時の1962年に日本アマチュア選手権に初優勝を果たす。以来、64、66、67、74、78年と計6度の優勝を成し遂げた。未だに破られていない前人未踏の大記録である。67年には当時のプロトーナメントであった西日本オープンで並み居るプロを退けて優勝、「プロより強いアマチュア」と呼ばれた。59歳で亡くなるまで東京ゴルフ倶楽部ハンデ+1。遺した言葉は未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。
著者・本條 強(ほんじょう・つよし)
1956年7月12日、東京生まれ。武蔵丘短期大学客員教授。
『書斎のゴルフ』元編集長。著書に『中部銀次郎 ゴルフ珠玉の言霊』『中部銀次郎 ゴルフの要諦』『中部銀次郎 ゴルフ 心のゲームを制する思考』(いずれも日本経済新聞出版編集部)他、多数。
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