ゴルフだけでなく、仕事も人生も常に心の準備をしておけということです。
伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」 vol.4
伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」。「プロより強いアマチュア」と呼ばれた中部銀次郎氏が遺した言葉は、未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。その言葉1つ1つを、皆さんにもお届けしていく。
GOLF TODAY本誌 No.604/68〜69ページより
イラスト/北村公司
「ゴルフも人生も様々なことが起きる。常に覚悟していれば慌てない」
褐色に日焼けした顔とロマンスグレーの髪。現役を引退して静かに微笑む中部銀次郎さんはダンディという言葉では言い表せない気品があった。
それは日本アマチュア選手権、前人未踏の6回優勝という素晴らしい実績がもたらせたといった単純なものではなく、ゴルフによって多くの辛酸をも舐めさせられた人生経験からもたらされた人間的な魅力だといえる。
中部さんが初めて日本アマに出場したのは1960年、浪人のときだった。中部さんはこのときゴルフ競技者として日本一を夢見ていた。高校2年時に関西学生選手権に出場、並み居る大学生を退けて予選トップのメダリストになって以来、その思いは強くなる一方だった。
兄二人が通う慶應大学を受験したものの、大学からゴルフ場までが遠すぎると試験用紙を白紙で提出、浪人の道を選んだのである。受験勉強をしながらゴルフの練習に余念のなかった中部さんは、日本アマの出場権を得た。大会コースは中部の名門、愛知カントリークラブ東山コースだった。
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「父も兄二人も日本アマに出場していましたし、長兄の一次郎は前年の日本アマに優勝していました。ですから、自分も日本アマに出場してみたいという気持ちはとても強かった。浪人の身とは言え、チャンスは逃したくなかったのです」
このときの日本アマは初日の予選を36ホール回り、スコアの上位16名だけが本選に出場できるというものだった。予選トップのものはメダルがもらえ、メダリストとして讃えられる。中部さんは最年少出場だったが、見事にメダルを獲得した。東山コースは井上誠一が設計した屈指の名門であり至難のコースだったが、中部さんは前半の18ホールをパープレー、後半は1オーバー、トータル1オーバーという素晴らしい成績だった。
本選の決勝はマッチプレーによるトーナメント、つまり勝ち抜き戦。中部さんは1回戦で圧勝、2回戦は競り勝ち、準決勝に進出した。ここからは1日36ホールのマッチプレーとなる。相手は飛ばし屋のベテラン、岡藤武夫。大雨の中の死闘だったが、前半は中部さんが1アップ。しかし、後半に逆転され、17番でショートパットを外して敗れ去った。
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人柄故に直視することができなかった
新聞記者は「中部銀次郎はマッチプレーに弱い」と書き立てた。なぜなら、中部さんは岡藤のパットを直視できなかったからだ。絶えずそっぽを向いていた。17番も然り。岡藤が先に2mを決めると完全に動揺した。これを記者たちは大洋漁業の御曹司故のお坊ちゃん育ちだからだと決めつけた。
浪人の身でありながら何不自由なくゴルフ三昧をしている気楽な若輩者と決めつけたのだ。「確かに坊ちゃん刈りの髪型でしたし、体も大きくなく少年のようだったからかも知れません。でも、試合に負けるまでは記者の人たちは自分をゴルフの貴公子のように囃し立て、みんな笑顔でインタビューしていたわけです。一遍でマスコミ不信になりました」
しかし、中部さんが恥ずかしがり屋で優しい性格だったことも事実。人一倍緊張もし、不安を抱いた。それだけに相手のパットに恐怖感も抱く。できればカップに入って欲しくない。だから直視することができなかった。
この恐怖観念は翌年、甲南大学に入ってからも消えなかった。二度目の日本アマは予選で2年連続のメダリストとなった。しかし、マッチプレーの本選は決勝で大学の先輩、石本喜義にまたしてもショートパットを何度も外して敗れ去った。その年の関西学生も日本学生も関西アマも全日本学生もすべて予選はメダリストになりながら、本選のマッチプレーで敗れた。それも4大会すべて2回戦負けを喫したのだ。
記者たちは中部さんのことを「マッチプレーに弱い」というだけでなく、「2回戦ボーイ」と書いた。優勝する実力は十分あるのに気が弱いから勝てない。詰めの甘いお坊ちゃまと馬鹿にしたのだ。屈辱的な呼び名だった。
「私がマッチプレーで勝てないのはまさしく精神的に弱いからです。だから、そう言われても仕方がない。しかし、そのまま黙って引き下がるわけにはいかない。ことゴルフに関しては絶対に負けたくなかった。なんとしても勝ちたかったのです。それには試合でショートパットを確実に決めること。ショットのミスは取り返しがつくけれど、パットのミスは取り返しがつきません。相手のパットを気にせずに自分のパットを確実に決める。その方法が知りたかったのです」
中部さんは父や兄などに尋ねるが、答えは決まって美空ひばりの「柔」の歌詞だった。「勝つと思うな、思えば負けよ」である。
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モヤモヤが一気に晴れた名人の言葉
しかし、そんなことでは打開できないほど悩みは深かった。藁をも掴む思いで訪ねたのが廣野ゴルフ倶楽部のプロ、石井哲雄だった。
父・利三郎のメンバーコースであり、度々中部さんもプレーしていた。石井哲雄は流麗なワンピースのモダンスイングの持ち主で日本プロなど多くの優勝を成し遂げた名人。マッチプレーも百戦錬磨だった。
そんな石井が中部さんに放った言葉は次の一言だった。「ホールマッチでは、相手がグリーンに乗せたら、一つで入ると思え」
マッチプレーでは誰だって相手のパットが入らないことを望むものだ。人間は誰しも弱いということであり、決して中部さんだけが弱いのではない。しかし、その弱さを戒める言葉が石井の一言だった。
中部さんははっと気がついた。「入らないでくれと思う気持ちが弱さに繫がってしまう。だったら、入るもんだと思えば気が楽になる。自分のパットにも集中できるというものです」絶対に入らないだろうと思えるような20m以上のロングパットだって、相手は一発で入れてくると思えば本当に入ったときでもショックは小さい。
それを3パットしてくれないだろうかなどと思っていたら自分のパットが疎かになるだけである。
「石井プロの言葉にこれまで抱いていたモヤモヤが一気に晴れました。要はショックを受けないように、常に心の準備をしておけということです。これは何もパットのことだけではありません。ショットでも同様です。相手が林に入れてもリカバリーしてくる。深いラフに入れてもグリーンに乗せてくる。バンカーに入れてもピンに寄せてくる。常にそう思っていれば良いということです。どんなことが起きても当然だと思うこと。そうすれば自分のプレーに集中できます」
このことは何もゴルフだけではない。仕事だって人生だって思いもかけない、信じられないことも起こるのである。だからこそ、いつでも何が起こってもおかしくないと覚悟しておくこと。そうすればショックに陥ることはなく、上手く対処できるのだ。
中部銀次郎(なかべ・ぎんじろう)
1942年1月16日、山口県下関生まれ。
2001年12月14日逝去。大洋漁業(現・マルハニチロ)の副社長兼林兼産業社長を務めた中部利三郎の三男(四人兄弟の末っ子)として生まれる。10歳のときに父の手ほどきでゴルフを始め、下関西高校2年生時に関西学生選手権を大学生に混じって出場、優勝を遂げて一躍有名となる。
甲南大学2年時の1962年に日本アマチュア選手権に初優勝を果たす。以来、64、66、67、74、78年と計6度の優勝を成し遂げた。未だに破られていない前人未踏の大記録である。67年には当時のプロトーナメントであった西日本オープンで並み居るプロを退けて優勝、「プロより強いアマチュア」と呼ばれた。59歳で亡くなるまで東京ゴルフ倶楽部ハンデ+1。遺した言葉は未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。
著者・本條 強(ほんじょう・つよし)
1956年7月12日、東京生まれ。武蔵丘短期大学客員教授。
『書斎のゴルフ』元編集長。著書に『中部銀次郎 ゴルフ珠玉の言霊』『中部銀次郎 ゴルフの要諦』『中部銀次郎 ゴルフ 心のゲームを制する思考』(いずれも日本経済新聞出版編集部)他、多数。
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