ヤマハが最初につくったクラブは、なぜカーボンウッドだったのか 世界初の挑戦が成功し大ヒット!
【第34回】商品開発はドラマ!ヤマハのクラブ第1号は、ゴルフクラブの歴史を変えた世界初のカーボンウッド
ゴルフメーカーの商品開発におけるドラマチックな業界裏話を、メーカー勤務経験のフリーライター・嶋崎平人が語る連載企画。今回はFS C-300、EX C-200カーボンウッド(ヤマハ)が主役のストーリー。
GOLF TODAY本誌 No.617/70〜71ページより
写真/ゴルフトゥデイ編集部 取材・文/嶋崎平人
世界初となるカーボンウッドを引っさげ、楽器のヤマハがゴルフ部門に衝撃参入!
ヤマハは1982年4月、世界初となるカーボングラファイトコンポジットを採用したゴルフクラブヘッドの開発に成功し、ゴルフ部門に参入。
1982年はゴルフクラブの歴史の中で最も大きな変革が起きた、まさにエポックメーキングな年であった。クラブヘッドの素材がパーシモンからメタルへと変わり、さらに次の素材としてカーボンまでもが登場したのだ。
この世界で初めてのカーボンウッドを発表したのが、実は日本のメーカーであるヤマハであり、ヤマハの発表を受け、各社が雪崩を打ったようにカーボンウッドの発売を開始した。
歴史を動かしたといっても過言ではないカーボンウッドの開発について、1983年ヤマハ入社でゴルフ事業部にて当初からクラブ開発に携わってきた、ヤマハ株式会社・ゴルフHS事業推進部開発グループ・田嶋良平氏に話を聞いた。
田嶋氏は、ヤマハのクラブの生き字引と言える存在。
ヤマハが業界に衝撃を与えた
1983年入社。ゴルフ事業部にて当初からクラブ開発に携わってきた、ヤマハ株式会社・ゴルフHS事業推進部開発グループの田嶋良平氏。
ヤマハの歩みは、1889年浜松に創業者・山葉寅楠がオルガン製造の合資会社山葉風琴製造所を設立したことから始まり、130年以上の歴史がある。スポーツ事業においては、1961年にスキー、1975年にテニスラケット、1976年にアーチェリーへ参入。
そして1982年4月、「世界で初めてカーボングラファイトコンポジットを採用したゴルフクラブヘッドの開発に成功、商品化決定」を発表し、ゴルフ部門に参入した。
この時点で「11月を目途に発売を予定」とされ、リリースの画像はクラウンには「YAMAHA」の文字のみで、まだブランド名は記されていなかった。とはいえ、ヤマハが“世界初のカーボンウッドでゴルフに参入“と業界に衝撃が走った。
その後、商品名はハードヒッター向けの「FOUCUS SUPER(フォーカススーパー)C-300」、もうひとつはスインガータイプ向けの「EXEMPLAR(エグゼンプラー)C-200」の2種類であることが発表され、予定どおり11月に発売。
「C-300」は10万円、「C200」は9万円であった。商品名については、FOUCUS(焦点)=うまい人はピンポイントで狙っていく、EXEMPLAR(見本)=模範・見本になる、の意味が込められている。
このクラブの開発がいつごろから始まったか、田嶋氏によると「発売の3年前くらいから、ヤマハとして市場の大きいゴルフ事業への参入が決まり、本格的な開発が始まった」そうだが、なんと、ゴルフクラブの特許を、参入発表の5年も前である1977年に出願している。
「当時はまだ会社としてゴルフに参入することが決定されておらず、あくまでも研究レベル」だったそうだが─。
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スキー、テニスなど社内製品で培ったノウハウを投入!
当時、カーボン素材の採用は画期的だったが、ヤマハではもともとスポーツ用品やホーム用品のバスタブなどをFRPで製造しており、「木製よりFRPの方が性能は上がる」との考えから、「カーボン繊維」を採用したという。
なぜ最初のクラブがカーボンウッドなのかについて、田嶋氏に聞いた。
「スポーツ用品のスキー、テニス、またホーム用品のバスタブなどをFRPで製造しており、FRP製造技術の蓄積があり、当時主流の木製よりFRP(繊維強化プラスチック)でつくった方が性能の良いものができる」と考えたそうで、「新規参入するにあたりこの技術を生かし、特に高比強度のカーボン繊維を使った世界初のものに挑戦した」とのこと。
当初、ゴルフ開発専任部隊はなく、スキー、テニスの開発部門、生産技術部門、ヤマハの研究部門のスタッフが5名程度で片手間に開発を進め、性能を重視し、最初からカーボン繊維を使ったFRPでの開発を進めていった。
田嶋氏は「FRPの製造技術はもっていたが、ゴルフクラブの設計技術は皆無で、海外の文献などで重心位置による性能の違いや、葛城ゴルフ倶楽部のプロなどの意見を取り込みながら開発を進めた」と当時を振り返る。
「形状については、パーシモンヘッドの形状をベースに設計した」そうで、2年くらい基礎開発をし、発売が決定したのは1年程度前のことであったという。
完全自社製造で大量生産を実現
すべてを自社で生産する“メイドイン浜松“、“メイドインYAMAHA“にこだわり、大量生産に対応。形状はパーシモンヘッドがベースとなっている。
生産は浜松市内にあったホーム用品とスキー、テニスを生産していた西山工場が舞台。発表した時点での生産能力は日産100本程度であった。ところが、世界初のカーボンウッドをヤマハが発売するとのことで、注文が殺到。
注文に追いつくために、残業はもちろん、他の製造部門のスタッフ、各部門の管理職も投入して夜遅くまで生産し、日産600本まで生産能力を確保したという。
ただ、「初期は不良率も高く、注文量を確保することが難しかった」そうだが、すべてを自社で生産し、“メイドイン浜松“、“メイドインYAMAHA“であったことで、受注になんとか対応。
また、次々と発売された他社の動きについては「発表した後、たまたま他社も新しい素材を研究して相次ぎ発売していったのでは」との認識だ。決して他社の動きを意識して開発を進めたというわけではないそうだ。
プロの試打テストを実施し、性能は高い評価であったのだが、打感についてはパーシモンに比べて評価が低かった。当時はパーシモンの打感がよいとされた時代であったからだ。しかし、そんな逆風にも負けず、性能のよさから販売店からも評価が高く、またたくまにヒット商品に!!初年度20億円以上を販売した。
さらに、当時契約プロだったスコット・シンプソンがこのカーボンウッドを使い1987年の全米オープンに勝利し歴史に名を刻んだ。国産クラブが全米オープンに初めて勝利した瞬間でもあった。ヤマハは現在もカーボンを含め、新しい素材の研究開発を続けている。再びの“世界初”に期待したい─。
商品開発はドラマ!!!今だから言える驚きのストーリー
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