「背筋を正すということは心を正すことから始まる」

中部銀次郎さんは馴染みの小料理屋のカウンターで、知人たちと酒を飲んでいた。普通の人なら体をよじって、顔を知人に向けて話をするだろう。

しかし、中部さんは真っすぐ正面を向いて酒を飲んでいた。背筋を伸ばし、顔を正面に向けていた。中部さんは陽に焼けた顔を崩して語ってくれる。

「ゴルフは背骨を軸として体を回転してスイングを行う。背筋は伸び、頭も起きていなければいけない。であれば、普段の生活からそうしていなければ上手くできないですよね」

だから、中部さんは酒を飲むときも背筋を伸ばして、体を捻ることなく、真っすぐ正面を向いているのである。それも無理なく普通にそうしている。習慣が身についてしまっているのだ。

「アドレスで背中が丸まっている人は、普段の生活からそうした姿勢になっているのではないですか?机に向かって背中を丸めてノートしたり、パソコンに向かって背中が丸まって仕事をしたりといったことが習慣化してしまう。こうした人は食事をするときも背中が丸い。無論、お酒を飲むときも同様です」

「そして」と中部さんは続ける。「背中が丸まってしまう人は、スイング軸が歪んでいるので体がスムーズに回転できない。結果、クラブを上手く振ることができません」では、どうすればよいか。

「答えは自明ですよね。普段の生活から、いつでも背骨を伸ばす。特に椅子に座って仕事をするとき。背中が丸まっていないか、首を曲げて顔を下に向けていないか、常にチェックすることです。

夢中で仕事をしていると、どうしても姿勢のことを忘れがちです。でも、休んだときに自分の姿勢がどうだったか振り返ってみる。隣に座っている人に、自分の背中がいつも伸びているかどうか、チェックしてもらうようにお願いしても良いですね」

中部さんは笑顔で続ける。「背中が丸いことが当たり前になっている人は、最初はどうしても背中を伸ばすことが大変かも知れません。まずは頭を起こすこと。腹に力を入れて腰から上体を持ち上げる。最初はきついかもしれないけれど、いつも気にしてやっていたら、そのうち慣れてくる。習慣化してくるわけです。

こうなれば、ゴルフでも自然といい姿勢になる。アドレスで背骨が伸びて、良いスイングが自然にできるようになるのです」

普段の生活がゴルフに表れる

中部さんは待ち合わせをしているときでも、背骨を真っすぐにして直立していた。だらしない格好で立っていることはなかった。友人たちはそんなすらりとした細身の中部さんを見て「エンピツ」と呼んでいた。直立不動だったというわけである。

そうした普段の習慣がゴルフにも表れて、打つ順番を待っているときも背骨を伸ばして真っすぐに立ってた。ティーイングエリアでもグリーン上でも同様だった。頭と両足を結べば二等辺三角形だった。

普段の生活がゴルフに表れるというのは、グリップにおいてもあった。ゴルフのグリップというのも、普段の生活にはないものですよね。お箸だって、スプーンやフォークだって、あんな握り方はしません。

しかも右手だけでなく、左手も使って両手でこしらえる独特の握りです。ですので、これもゴルフのときだけ上手くやろうとしてもできません。ですので、「普段の生活から取り入れることにしたのです」

では、中部さんはどのようにして取り入れようとしたのだろうか。

「まずはカバンを手で持つときです。鷲掴みにしないで、ゴルフのグリップの形にして柄を握るのです。よく言う、ピストルの引き金を引くような形、トリガーグリップです。人差し指から小指にかけて手のヒラを斜めに使って握ります。こうして手で握って持ち続けたら、今度は左手をグリップの形にして握る。右手と左手を合体すればゴルフグリップというわけです」

普段の生活のグリップ練習は、カバンだけではない。中部さんは電車のつり革も使ってしまう。「電車に乗っているときも私はなるべく座らず、姿勢を正して立ちます。そうして吊革につかまるわけですが、このとき手をグリップの形にして握る。右手をトリガーで握って一駅過ぎたら、今度は左手をゴルフグリップにして握るわけです」

さらに、中部さんはクルマの運転でも、ゴルフグリップを取り入れてしまう。「クルマの運転でも同様です。ハンドルを握るときに、右手も左手もゴルフグリップの形で握る。ハンドルはクラブのように真っすぐではないけれど、それでも指を斜めに使った握りはできる。

つまり、何かを握る動作があれば、ゴルフのグリップにして握るというわけです」かなりのストイックぶりと言っていい。

中部さんは日焼けした顔をほころばす。これって、変人ですよね。普通の人から見たら、何をやっているんだろう、この人はって、頭が変だと思うかもしれない。でも、それくらい普段の生活にゴルフを取り入れなければ、なかなか本番のラウンドで上手くはできないものです。それほどゴルフのアドレスは変わった姿勢であり、グリップは変わった握りだと思います」

中部さんが遺した有名な格言

変人と思われていいじゃないか。

中部さんにはそうした開き直りがあった。だからこそ、達人になれたのである。中部さんが遺したあまりにも有名な格言がある。「ゴルフはアドレスに始まり、アドレスに終わる」

これはゴルフにおいてグリップを含むアドレスが、どれほど大事かを端的に表した言葉である。

アドレスが良ければ良いスイングができ、ナイスショットが生まれる。アドレスが悪ければ良いスイングはできず、ミスショットが生まれる。そして、良いアドレスを作ることはとても難しい。

一朝一夕には作れず、また保つこともできない。普段から慣らしておき、意識せずとも自然にできるようにしておかなければいけない。

変人と思われようが一向に構わない。ゴルフコースに出てラウンドするときに、良いグリップと良いアドレスでスムーズなスイングを行い、素晴らしいショットが打てれば最高なのだと、中部さんは固く信じていたのである。

中部さんはちょっと真剣な顔で言った。「いつも良いグリップと良いアドレスでゴルフをしたい。そうすれば自然と良いスイングになり、ナイスショットが生まれるはずです。そのためには普段の生活からそうしようと思って、それを行う強い意志が必要です。そうでないとすぐに姿勢は崩れてしまう。良い姿勢を作るにはしっかりとした心を持つことが大事なんです」

そして、次のように締めくくった。「姿勢を正すとは、心を正すことなんです」


中部銀次郎(なかべ・ぎんじろう)

1942年1月16日、山口県下関生まれ。
2001年12月14日逝去。大洋漁業(現・マルハニチロ)の副社長兼林兼産業社長を務めた中部利三郎の三男(四人兄弟の末っ子)として生まれる。10歳のときに父の手ほどきでゴルフを始め、下関西高校2年生時に関西学生選手権を大学生に混じって出場、優勝を遂げて一躍有名となる。

甲南大学2年時の1962年に日本アマチュア選手権に初優勝を果たす。以来、64、66、67、74、78年と計6度の優勝を成し遂げた。未だに破られていない前人未踏の大記録である。67年には当時のプロトーナメントであった西日本オープンで並み居るプロを退けて優勝、「プロより強いアマチュア」と呼ばれた。59歳で亡くなるまで東京ゴルフ倶楽部ハンデ+1。遺した言葉は未だに多くのゴルファーのバイブルとなっている。

著者・本條 強(ほんじょう・つよし)

1956年7月12日、東京生まれ。武蔵丘短期大学客員教授。
『書斎のゴルフ』元編集長。著書に『中部銀次郎 ゴルフ珠玉の言霊』『中部銀次郎 ゴルフの要諦』『中部銀次郎 ゴルフ 心のゲームを制する思考』(いずれも日本経済新聞出版編集部)他、多数。


伝説のアマチュアゴルファー中部銀次郎の「言の葉」

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