お辞儀に衝撃!ゴルフ場設計の巨匠R・T・ジョーンズSr.は、愛と感謝のリトル・ビッグ・マン(小さな巨人)

ゴルフ場設計の名ファミリー、兄R.T.ジョーンズjr、弟リース・ジョーンズと父子3ショット。息子たちも名設計家として世界で活躍。96年米国ナショナル・ゴルフ・ファンデーション最高家族賞を受賞。(写真94年5月英国ゴルフワールド誌の特集記事より)

ゴルフ場設計家ロバート・トレント・ジョーンズ・シニアは世界で知られる巨匠。僕にとって歴史上の偉人で近寄りがたい存在だと思っていた。

が、目前に現れたシニアは愛と感謝にあふれる“リトル・ビッグ・マン”(小さな巨人)だった。

シニアは1906年6月20日英国生まれ、5歳時に両親と米国NY州に移住。幼少期のキャディ経験からゴルフを学び、1927年カナディアン・オープンでローアマを受賞する腕前に。コーネル大学で造園学などを専攻し卒業後設計の道へ。

年間平均飛行距離は約50万キロ。地球12周を飛び回りゴルフ場に情熱を注ぎ続け、世界35カ国、米国内45州で500コース以上の設計や改修を手がけた怪傑だ。

代表作のひとつペブルビーチGL隣のスパイグラスヒルGCを初めて訪れた時、4番ホールに思わず息を飲んだ。左に太平洋の荒波、風雨に晒された砂浜には壊滅寸前とも思えるほど激しく折れ曲がった木々がたくましく生き続け、自然の力強さと生命力に圧倒された。

プレジデンツ杯開催バージニア州のR・T・ジョーンズGCは森や泉を最大限生かし極限まで雄大な雰囲気を醸して出している。

シニアの理念は「地形を生かし、各ホールをパー奪取は難しいがボギーで収めるのはやさしい」という絶妙の難易度に仕上げることだった。

奇跡の遭遇

当時88歳。シニアとの縁で知り合った筆頭弟子R.ルールウィッチは「若い頃から思慮深く、品格にあふれ最高の師」と語った。今年5月全米プロ選手権はシニアが少年時代を過ごしたNY州ロチェスターにあるオークヒルCC開催。アイデア満載、魅惑のコースも楽しみだ。

シニア設計コースに魅了されていた僕に奇跡のような出来事が起きた。94年6月ペンシルバニア州オークモントCC開催の全米オープンでのこと。

滞在ホテルのエレベーターからハンチング帽を被り歩行器で歩く小柄な老人が降りてきた。姿を見た瞬間にシニアだと確信、彼へと駆け寄り夢中で挨拶と自己紹介した。

すると歩行器から手を離し両手で僕の手を包み込むように握手、お辞儀をしながら笑顔で「サンキュー」と繰り返し、僕は感激と動揺で大混乱。

今も忘れられない思い出だ。開催コースは1964年にシニアが改修、その責務から万難を排し現地を訪れていたのだ。

富豪ロックフェラー家のプライベートコース設計。アーガー・ハーン4世やモロッコ国王ハッサン2世からも依頼を受け、1950年代には当時のアイゼンハワー大統領の依頼でホワイトハウス内に練習グリーンを設計。

ボビー・ジョーンズからはオーガスタナショナルGC改修を任されるなど、各界オーソリティがこぞってシニアを指名。世界屈指の設計家と評されるのは彼の気骨や慎み深い生き様がゴルフ場に投影されゴルファーを魅了するからだろう。

シニアは2000年6月14日93歳で他界したが、魂はゴルフ場に永遠に生き続ける。




●ロバート・トレント・ジョーンズ・シニア/ゴルフ場設計家

1906年英国生まれ、5歳で米国移住、コーネル大学などで造園、設計などを学び1930年スタンレー・トンプソンと設計を開始。世界で500コース以上設計、改修。

1976年米国設計家最高のドナルド・ロス賞、1987年世界設計家最高オールド・トム・モリス賞受賞、同年世界殿堂入り。

●文/佐渡充高
さど・みつたか
上智大学法学部卒業。1985年に渡米し、USPGAツアーを中心に世界のゴルフを取材。NHKゴルフ解説者。


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