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昨年の賞金総額は24億円超!間もなく開催の「全米オープン」って、実はどんな大会でどんな歴史があるの?

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2023/06/12 ゴルフサプリ編集部 宮井善一

石川遼

(写真/相田克己)

ゴルフ界のビッグイベント「全米オープン」の開幕が近づいてきました。今年は6月15日(木)~6月18日(日)、米国・カリフォルニア州にあるロサンゼルスCCで行われます。
世界的に有名なすごい大会だということは分かると思いますが、実際にどんな大会でどんな歴史があるのでしょうか。分かりやすく解説します。

[目次]

全米オープンとは?

「全米オープン」を開催しているのは、USGA(全米ゴルフ協会)という米国のゴルフを統轄する組織です。USGAは1894年に創設され、翌1895年の10月に東海岸にあるニューポートゴルフクラブで第1回の全米オープンと全米アマを開催しています。

当時は全米アマがメインで、全米オープンは「全米アマの余興のようなものだった」とUSGAが大会の歴史に記しているほど。実際、第1回全米オープンの参加者は11人しかいませんでした。

競技方法は1日36ホールのストロークプレーで、優勝したホレス・ローリンズ(英国)のスコアは91、82の合計173ストロークでした。その後、参加者はどんどん増えていきます。第4回大会からは全米アマとは別会場となり、現在と同じ72ホールストロークプレーに拡大されました。

やがて「全米オープン」に出場するための予選会が開催されるようになり、1928年には予選会を含めた総出場者が1,000人を超える大規模な大会となりました。現在の「全米オープン」出場枠は156人。世界ランキング上位者など出場資格を有する選手を除いた枠を予選会出場者で争うわけです。

地区予選会

予選会は地区予選会と最終予選会の2段階。

地区予選会は全米各地など100を超える会場で行われて、その出場者数は9,000人以上。まさに世界最大規模の大会といっていいでしょう。アマチュアでもハンディキャップインデックス1.4以内ならばエントリー可能です。

最終予選会

地区予選会の次は最終予選会です。

地区予選会を勝ち上がった選手と最終予選会からの出場資格がある選手が「全米オープン」出場を目指します。最終予選会は日本でも開催されており、今年は石川遼ら3人が出場権を獲得しました。

賞金総額は、今年はまだ発表されていないので昨年のものになりますが1750万ドルでした。1ドル139円として日本円に換算すると、何と24億3250万円というすごい金額になります。昨年実績ではメジャー4大会の中でも最高額でした。

今年はさらにこれを上回る賞金になることが予想されます。

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最多優勝

4勝で4人が並んでいます。最初に4勝したのは、英国出身で米国に移住したウィリー・アンダーソン。1901年に初優勝を飾ると、1年おいて1903年からは3連覇を飾っています。

2人目は球聖と称されるアマチュアゴルファー、ボビー・ジョーンズ(米国)で、年間グランドスラムを達成した1930年に4勝目を挙げています。

3人目はベン・ホーガン(米国)で、1940年代から50年代にかけて優勝しています。

最後の4人目はジャック・ニクラウス(米国)。1962年、22歳の時に初優勝し、1980年に40歳で4勝目を飾りました。

ヘール・アーウィン(米国)とタイガー・ウッズ(米国)が3勝で続いています。

最年長、最年少出場

最年長出場は、アーノルド・パーマー(米国)が1994年に出場した時の64歳です。パーマーはこの時、特別推薦を受けての11年ぶりの出場。77、81のスコアで予選落ちを喫しています。

最年少出場は中国出身のアンディ・チャンで、2012年にわずか14歳で出場しています。成績の方は予選2日間のスコアが79、78で決勝ラウンドに進むことはできませんでした。

ベストスコア

18ホールのベストスコアは63で、ジャック・ニクラウスやジョニー・ミラー(米国)、ジャスティン・トーマス(米国)ら6人がマークしています。日本人選手のベストスコアは65で、矢野東が1回、松山英樹が2回出しています。

72ホールのベストスコアは、ローリー・マキロイ(英国)が2011年にマークした268です。

日本人選手と全米オープン

初めて出場した日本人選手は宮本留吉で、1932年のことでした。この年、米国と英国を転戦していた宮本は予選会免除の特例で出場しましたが、82、82と振るわず、決勝ラウンドには残れませんでした。

日本人選手で初めて予選を通過したのは、中村兼吉(かねきち)です。1935年、宮本留吉ら6人の日本人選手が出場し、中村1人が決勝ラウンドに進出しています。

1980年には、青木功が優勝まであと一歩に迫る2位に入りました。3日間とも68をマークした青木は、6アンダーでニクラウスと首位に並んで最終日を迎えました。初日からずっと同じ組でプレーした2人は最終日も激しい戦いを繰り広げた末、ニクラウスが2打差で青木を抑えて優勝。この戦いは開催コースにちなんで「バスタスロールの死闘」とも呼ばれています。

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ジャンボこと尾崎将司も優勝のチャンスを迎えたことがありました。1989年のことです。4打差の4位で最終日に入ったジャンボは、10番でバーディを奪った時点で首位に並んだのです。しばらく首位を並走していましたが、14番のボギーから崩れ、最終的には6位に終わりました。

2004年には丸山茂樹が初日、2日目と首位タイにつけました。すでに米ツアーで3勝を挙げていた丸山にとって初メジャータイトルを手にする絶好の機会でしたが、決勝ラウンドでは苦戦して4位で大会を終えています。

松山英樹は2017年、最終日に66をマークして猛追しましたがブルックス・ケプカ(米国)に4打及ばずの2位。今のところ、この年の松山と1980年青木の2位が日本人選手の最高位です。

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文・宮井善一
1965年生まれ。和歌山県出身。スポーツニッポン新聞社でゴルフ記者を8年間務め、2004年にフリーのゴルフライターとして独立。ゴルフ誌などに執筆のほか日本プロゴルフ殿堂オフィシャルライターとして活動している。元世界ゴルフ殿堂選考委員。

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