約30年前の1992年27歳と34歳の熱き青年二人がタッグを組み、神戸の地に誕生した「ロイコレ」

ロイヤルコレクションといえば、特徴的なキャビティソールのフェアウェイウッド(FW)が思い浮かぶ。プロアマ問わず支持され、「ロイコレ」の愛称で幅広く親しまれている。

「ロイヤルコレクション」と言えば、特徴的なキャビティソールのフェアウェイウッド(FW)がイメージされるが、そのFWは多くのプロやトップアマからも支持され、「ロイコレ」の愛称で幅広く親しまれている。

2020年にロイヤルコレクションの会社を継承した株式会社アドラージャパンの岩﨑暁展社長と、ロイヤルコレクションを創業したメンバーの一人であり、現在のアドラージャパンプロデューサーの小山英嗣氏に話を伺った。

創業者の小山氏と賢見氏の出会い

ロイヤルコレクションを創業したメンバーの一人であり、現在のアドラージャパンプロデューサーの小山英嗣氏。

「ロイヤルコレクション」は1992年神戸で創業。創業したのは小山氏賢見良成氏であった(賢見氏はすでにリタイアされている)。

当時、小山氏は大阪の商社日売貿易に勤務していたのだが、ゴルフ愛好家の父親の影響で自身も子供の頃からゴルフに親しんでおり90前後の腕前。会社から「ゴルフができるのか」と言われ、これがゴルフ事業にかかわるきっかけとなった。

1988年にはゴルフ用品に課税されていた「物品税」が廃止され、自由に取引が可能に。

商社として米国のクラブの輸入業・代理店業をスタートし、ゴルフ関係の仕事をしている中で神戸にある会社からオファーがあり、転職を経てゴルフクラブを造ることとなった。

この時、取引先にゴルフ輸入商社があり、そこで働いていたのが賢見氏であった。賢見氏はオリジナルクラブの設計・製造にもかかわっており、会社の忘年会に小山氏が出席したことで、二人は出会いを果たす。

困難にも負けず設立した「ロイヤルコレクション」

20年にロイヤルコレクションの会社を継承した株式会社アドラージャパンの岩﨑暁展社長。

その後、賢見氏が小山氏と同じ会社に転職し、新しいクラブ開発に取りかかるのだが、タイミングが悪く会社業績悪化で破綻…。

しかし!当時小山氏は27歳、賢見氏は34歳。台湾ですでにクラブ製造が始まっており、意気投合していた二人は資金を出し合い独立。仕事を引き継ぎ設立したのが「ロイヤルコレクション」である。

小山氏の父親が貿易会社を経営していたこともあり、ゴルフクラブの輸入も含めて比較的スムーズに業務を進めることができた。

〝クラブ開発〟と〝モノづくり〟は賢見氏、〝経営〟と〝営業〟は小山氏の両輪でのスタートを切った。1992年のことである。

台湾での製造は、中堅のロックスという会社だったのだが、開発に協力的で、設計にこだわったモノづくりが一緒にできるメーカーだった。前の会社も含めて、最初のモデル開発には1年間を要した。

新しいモデルは「機能がよくなければあかん、目立ってなければあかん」との二人のこだわりが、プロ、アマチュアから評価されるクラブへと結実していった。

瞬く間にヒットを連発!

建築士の資格を持つ賢見氏が設計を担当。代名詞のキャビティソールは特許を取得。効果の欄には「深い重心深度と低重心等を実現しえて、方向性良く高弾道にボールを飛ばすことができる」と記述されている。

さて、「ロイヤルコレクション」という名前は、どのように誕生したのか。まず、当時、神戸でバッグを販売していたドイツの「ロイヤル○○○○コレクション」というブランドがあった。

ここからインスピレーションを受け、「短い方がカッコいいだろう」ということで「ロイヤルコレクション」という名を思いついた。

検討を重ねる中、ゴルフ発祥の地といわれるイギリスの「ロイヤル」、神戸は日本のゴルフ発祥の地とされていることから「ロイヤル」が相応しい、「ロイヤルコレクション」で行こうと決定。

商標についてはいろいろな経緯はあったが無事に取得でき、会社もこの経緯から「神戸」でスタートした。初代オリジナルモデルは1992年に発売された「RC-1」というモデルであった。

その後、賢見氏が次々と開発し、1993年には「RC-2」、1994年には「RC-3」と毎年新モデルを発売。

最初はゴルフ工房へのヘッド販売が中心であった。会社の業績も1年目で1億円、2年目2億円、3年目3億円と順調に売り上げを伸ばしていった。当時はトップアマの影響力が強く、地元のゴルフクラブ工房から広がり、「RC-3」のFWは日本アマで使用率ナンバー1となった。

工房の影響力と当時アマのクラブを大きく取り上げていた雑誌ゴルフクラシックに広告を出したことが認知向上につながった。

2000年にはニック・プライスとクラブ契約。07年には国内メジャーすべてで使用率1位の快挙

業者二人が徹底的にこだわったヘッドの顔。トップアマが好む「ボールがつかまって左へ行くイメージ」がないように、トウの部分を研磨で削り被って見えない工夫を施した。

創業者二人が徹底的にこだわったのはヘッドの顔であった。

トップアマは構えた時の、ヘッドの顔がよくなければ打たなかったので、トミーアーマーなどの名器と言われるヘッドの顔を参考にしながら、ボールがつかまって左へいくイメージがないように、トゥの部分を削り、被って見えない工夫をしていた。

また、構えた時のヘッドの座りも徹底的にこだわった。

低重心化にこだわり、当時のステンレスヘッドとして最薄のクラウン部0.8ミリを実現。台湾のメーカーと試作を重ね、性能にこだわりモノづくりを追求した。

性能面では、FWの低重心化にこだわり、当時のステンレスヘッドとして、どのメーカーよりも薄い、クラウン部を0.8ミリにした。

この薄さを実現するために、台湾のメーカーと試作を重ねる中で不良品も多く出て苦労したが、性能にこだわりモノづくりをした。

その後、ロイヤルコレクションの代名詞となるキャビティソールのCV-1、2、3、4。さらにスーパーCV、スーパーCV・B・B・Dとそのこだわりが生き続けて、2000年にはニック・プライスとクラブ契約、2007年には国内メジャー、日本プロ、日本ツアー選手権、日本オープン、すべてでFW使用率ナンバー1を獲得した。

FWの顔のよさと性能が、プロ、アマチュアに支持され、年間20000本以上のヒット商品を生み出した。そのDNAは継承され最新のモデルにも生かされている。


商品開発はドラマ!!! 今だから言える驚きのストーリー
←タイガー・ウッズが選んだブリヂストンのボール。当時の開発の背景にあったものとは
楽器のヤマハがゴルフを始めたのはいつ?飛ぶドライバー「インプレス」デビュー秘話→

第25回(前回)を読む 第27回(次回)を読む

シリーズ一覧へ